日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

悲しい話

先月末、父が緊急入院、8日後退院、私は約10日間実家に滞在した。

父が入院している間は病院通いの他に、実家の片付けやらなんやらとそれなりに忙しかったが、時々ポカッと時間が空くときもあった。

そんなときに高校時代の友人に電話したりメールしたりしていたのだが、高校時代の同級生(N君)が9月に亡くなったという話を報された。

癌だったそうだ。

9月に帰った時には中学時代の同級生(T君)がやはり癌で8月に亡くなったという話を聞いた。

今回の同級生N君はその中学時代の同級生T君とも友人で、自身も末期癌でありながら葬儀に駆けつけたという話だった。

 

私の地元は、町に4校あった中学校を統廃合して1校だけの中学校になった。

私が中学生になったときは統廃合して3年目か4年目くらいの新しい中学校だった。

8月になくなったT君は2年生の時に同じクラスになった。野球部に入っていて明るく、女子に人気のある男子だった。地元では野球の強豪校と言われる高校に進学した。

そもそも私は地味な中学生で男子にはまったくもてない生徒だったので、そういう華やか(?)な男子とはお互い顔はわかっていてもほとんど会話を交わしたおぼえがない。

そんなわけで私とT君は高校進学以降まったくの没交渉であったが、(中学時代の)顔と名前ははっきり覚えていた。

9月に亡くなった同級生N君は、中学では同じクラスになったことがなかったけれど、同じ高校に進学、3年間同じクラスだった。

N君も中学時代野球部で、8月に亡くなったT君とは高校は違ってもお互いずっと地元にいたこともあり、友人関係は続いていたそうだった。

 

私とN君は3年間同級生だったにもかかわらず、あまり話をしたおぼえがない。

N君はとてもリーダーシップのある男子で、中学時代は生徒会長もやっていた。高校で生徒会長をしていたかどうかは覚えがない(というくらい私は無関心でもあったわけだ)が、とにかく印象としては元気で活発な男子であった。

高校卒業後は進路が別れたこともあり没交渉だった。

そんなN君と久しぶりに連絡を取り合ったのが4年前の中学の同窓会の連絡だった。いわゆる還暦同窓会で、学年全体の同窓会の知らせだった。

私はその頃武蔵美通信の卒論制作真っ最中で、迷った末に欠席の返事を出した。

そのときにN君の携帯番号を知り登録したらしい(記憶がないけれど)。そして返事に自分の携帯番号も記したらしい(それも記憶がない)。

そして、去年春に私はラインを開設したのだが、自動登録にしたので同様に自動登録の人々からラインが届いた。その中にN君も入っていた。

それから季節の変わり目などにラインが届くようになり、お互い近況などを報告したりしていて、それはそれで楽しかった。高校時代に特に仲が良かったわけでもないのに、還暦過ぎてこうしてラインのやりとりするようになるなんて、人生って何があるかわからないなー、なんて思っていた。

 

最後のラインは今年の2月だった。お互いに2月が誕生日だったので、おめでとうメッセージをやりとりした。63歳の感想、コロナワクチンや年金など、年相応の話題であった。

その後ぱったりと止まった。

私も家のことや父のことでバタバタしていてすっかり忘れていたけれど、10月になってふとN君からのラインがないなー、新年になったらアケオメのメッセージでもするか、と思っていたところだった。

 

こうして私とN君のラインは終わった。

わずか1年弱のライン交換だった。