日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

『ソロモンの偽証』を一気読み

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第?部 法廷 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第?部 法廷 上巻 (新潮文庫)

文庫本では第一部『事件』上・下巻、第二部『決意』上・下巻、第三部『法廷』上・下巻、の三部構成、全6巻。
本作は『小説新潮』(新潮社)にて、2002年(平成14年)10月号から2006年(平成18年)9月号、同年11月号から2007年(平成19年)4月号、同年6月号から2011年(平成23年)11月号まで連載され、2012年(平成24年)に単行本が刊行された。文庫版は2014年。


舞台は、東京都「城東区」(江東区がモデル)と設定され、1990年12月〜1991年8月、2010年3月の物語となっている。文庫本で全6冊という長さにちょっとびびったが、連載期間が9年に及ぶという、その長さにも驚いた。


実はこの作品、タイトルくらいしか知らず、ほとんど予備知識無しで読み始めた。読み始めてまず驚いたのは、「プラザ合意」(1985年)が比較的最近の話として出てきたこと。一体この物語の時代設定はいつなんだ? それほど古い刊行ではないはずなのに、とビックリしてしまったのだ。初出が2002年(平成14年)だと知って、ああ、そうかとは思ったが、それでもその時点で17年が過ぎている。単行本化したのが2012年、そして今は2018年(平成30年)だ。(私が読むのが遅れているだけなんだけれどさ・・・)。
ま、内容を読めばその頃の時代設定にした意図もわかるから、それはいい。


で、この長ーいお話しを私は2日で読了した。なんだかんだ言っても読みやすいんだよね、宮部さんの文章は。
読み始めてすぐにこれ読了できるだろうかと懸念したし、途中で何度も挫折しそうになったが、続きを読まずにいられなかった、さすがの文章力。
読了できないかもと懸念したのは、主人公が中学生の女子、そして私の苦手な法廷物だと知ったから。
きっと辛いことになるだろうと思ったら、やっぱりだった。
だいたい私は学校が嫌いだったし(先生方は担任含め、ほとんど信用していなかった)、主人公のような、家庭に恵まれ(家族、経済状態含め)、成績や容姿のみならず勇敢で性格もよろしい女子ってのが、いくらお話しでも嘘臭い。反発心があると言っても良いかも。
それは私がひねくれているだけと言ってしまえば簡単だが。


『ソロモンの偽証』は映画化もされていて(2015年公開)、主人公役は藤野涼子(役名と同じ)。
私は映画を観ていないのでその頃は知らなかったのだが、藤野涼子は2017年、NHKの朝の連ドラ「ひよっこ」に兼平豊子役として出演しているので、顔は覚えている。だもんで、小説を読みながら藤野涼子の顔と声がチラチラしていけない。
ああ、ほんと、映像化される前に読むべきだった。(いや、藤野涼子はきっと熱演だっただろうという想像はできますよ、でもね、、、)


さて、第6巻には『負の方程式』がオマケとして収録されている。これは杉村三郎シリーズだった。
杉村三郎が主人公で、大人になった弁護士・藤野涼子が登場している。文庫本のための書き下ろし(らしい)。
『ペテロの葬列』と『希望荘』の中間くらいという設定・・・かな?
で、ここでも藤野涼子は私の苦手な女性に成長していた。いや、いいんだけど。


ま、とにかくそういう歪んだ目で読むものだから、この小説の良さが私にはよくわからない。
話は面白かったけれど。


付け足し:そもそも、「真実を」求めて始めた裁判で、何を得たのだろうか、あの生徒達は。
真実などわからない、という事実を得たってこと?
もし私があの中学校の生徒だったり、父兄だったとしても傍聴なんてしないだろう。同級生が法廷でお互いを傷付け合うだけの姿を見せられるなんて悪趣味だもの。
せめてねぇ、クリスティの『検察側の証人』並みの意外性があったらうれしかったんだけど、ってそれを中学生の模擬裁判に求めるのも大人げないしなぁー。ま、そういう話じゃないもんね、それはわかっているんだけど・・・。
小説の中の検事役・弁護士役の子は二人とも優秀で、しっかりと証人尋問を進めて行く。物証はなく、証人尋問だけで進む。そして証人を追い詰める。被告人じゃなく、証人を。・・・それがイヤだったんだよ。
実際の裁判だったらそれは当たり前ですね、勝つか負けるかだから証人を追い詰めることだってありだろう。検事も弁護士も仕事としてやっている。でも、中学の校内裁判の証人には今現在の同級生もいる。そういう証人を追い詰めて行く図っていうのが、なんか生理的に受け入れがたいというか気持ち悪い。


約20年後、主要登場人物の一人、野田健一が母校に教諭として赴任してくる。そこで校長に、「あの裁判が終わってから、僕ら」「友達になりました」と言うシーンがありまして、うーーーん、友達って誰? 裁判に携わった人たちのこと? だよねぇ、当然。だって裁判に無関係だった人が友達になれるとは思えないもの。私だったらイヤだ。あの裁判やった人たちと友達になりたくない。


主人公の藤野涼子がその後法曹界に進んだのは、法廷だったら正々堂々と相手を追い詰められるという快感を知ったからではないだろうかとも思う。日常生活ではいくら嫌いな相手でも言葉だけで追い詰めて叩きのめすことはできないでしょ。
うん、そう言う意味では彼女にとっては、あの裁判で目覚めた=裁判で得たことなんだな。
そういう話だったのかな・・・って、私は相当ひねくれものだ。(7/12)