牛乳の思い出
今月初めに梅雨明けしてから毎日暑い、暑い。
暑さとコロナの影響で、買い物はなるべく1回であれもこれも買うようにしている。
それでもついつい買いそびれてしまうものもあり、そうするとまた出かけなくてはならないのが辛い、とか思ってしまうのだった。
ということで、今日は牛乳を買い忘れて帰宅してしまった。
なくてもなんとかなるけれど、あった方が良い牛乳。
牛乳には母とのちょっと切ない思い出がある。
小学生1年生だった頃、私は学校が嫌いだった。
いや、嫌いと言うよりも、行きたくない場所だった。決して嫌っていたわけではないと思うけれど、とにかく行きたくなかった。理由はもう忘れたけれど。
母が泣いている私の手を引いて、近所のお姉さんがたに「学校まで一緒にお願いします」と頼んでやっと出かける、みたいな、なんというか手のかかる子であった。
そうまでしてやっと学校に着いても門から中に入れなくて、泣きながら帰宅したことも多かった。なんでしょうね、何がイヤだったんでしょう。
母はそんな私を近所のお店に連れて行き、牛乳を1本買い、お店の人に人肌に温めてもらってそれを飲ませてくれた。人肌に温めた牛乳はほんのり甘くて、私はそれが大好きだった。
そうこうしているうちに気持ちが落ちついたらしい私を見て母は言ったのだった「もう学校に行けるか?」。
で、門まで送ってもらった私は無事に登校できたわけで、さて、その後のその日の授業がなんだったのか、どういうふうに過ごしたのかはまったく覚えていない。
覚えているのは母に飲ませてもらった牛乳の味だけ。
あの頃、まだうちには電話がなかった(もちろん携帯電話なんてあるわけもなく)から、母は学校に連絡してなかったし、教室までついてきてくれたわけでもないから、私はたぶん一人で1時間くらい遅れて教室に入ったはずなんだけれど、先生になぜ遅刻したのか問いただされたおぼえもないし、ましてや叱られた記憶もない。
まあ、普段から内気でおとなしく、グズグズしている子だったから、先生も遅刻の理由は想像がついたのだろう、たぶん。
というようなことを思い出すと、今と違ってずいぶんのんびりした時代だったなと思う。
まだ学校に慣れていないんだと、親も教師も私の成長をのんびり見守ってくれたのだろう、と想像する。
一概に昔は良かったというつもりはない。時代が変わったのだから、私たちを取り巻く様々な条件も変わった。大人も子供もおしなべて。
私にしても、もし息子が私の小学校時代のような子だったら、母と同じように接することができたかどうか。黙って息子を見守るよりも、原因をいろいろ考えて、息子に問いただしてしまったかもしれない。
情報があふれ、様々なことを考えずにはいられないような時代になってきたということでもあると思う。
それは良くも悪くも親子関係にも影響してくるんだろうな、とぼんやり思ったのだった。