大正時代の唱歌
子どもの頃、畑に行く母についていくことが多かった。
大人になってからの私からは想像できない(と、周囲は言う)が、子どもの頃の私は泣き虫で母の姿が見えないと、ずーーーっと泣いているような子どもだった。
母の実家に行って、私が妹や従妹と楽しく遊んでいるのを見計らって母が買い物に行ったときも、母が居ないことに気付くと泣き始めた。
そのことは大きくなっても父や祖母に言われたものだ。
小学校低学年くらいまでそんな風だったと思う。
小学校の門まで行っても、泣きながら帰ってしまうことも多かった。
あるとき、小学校から帰ったら母がいなかったことがある。
私は泣きながら畑まで母を探しに行った。途中で、真っ白なヒゲのおじいさんに出会い、母は何処にいるか?と聞いたが、わからないと言われ(←当たり前ですわな)泣き泣き帰宅した(と思う)。
その時の顛末は覚えていないけれど、ヒゲのおじいさんに出会ったことだけは鮮明に憶えている。どこのおじいさんかはわからないけれど、仙人のようなおじいさんだった。
そんな私が、今でも時々ふと思い出す童謡がある。
『おうち忘れて』(大正11年)
おうち忘れた 子ひばりは
広い畑の 麦の中
母さんたずねて ないたけど
風に穂麦が 鳴るばかり
お家忘れた まよいごの
ひばりはひとり 麦の中
お山の狐は なかぬけど
暮れてさみしい 月あかり
作詞 鹿島鳴秋(1891-1954) 作曲 弘田竜太郎(1892-1952) 唄:古賀さと子
私が覚えていたのは1番だけ。
これってネットで検索すれば出てくる?と思い検索したら、やっぱりあった。
まったく便利な世の中になったものだ(笑)。
この曲を教えてくれたのは母だったような気がする。小学校で習ったわけではないし、レコードがあったわけでもないから。
私がこの曲をこの年まで覚えているのは、きっと畑で母を見失った時の記憶が混ざっているからだろう。
それにしても寂しげな歌。この曲の作詞作曲者は、童謡、『浜千鳥』『金魚の昼寝』や『お山のお猿』など、童謡を数多くつくっている。
『浜千鳥』も、『おうち忘れて』同様、親を探して鳴く小鳥(浜千鳥)のうた。
作詞者の鹿島鳴秋は、6歳の時に両親と生き別れて、祖父母に育てられた。鳴秋のこれらの詞は、自分の生い立ちと重ね合わせて書いた詞だと言われている。