『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』を読む
一昨年『あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続』まで読んだ。
https://pig-pearl.hatenablog.com/entry/20180605/p1
五までが第一期、六から第二期、新シリーズになった。
主人公は「おちか」から「富三郎」へと変わったが、大筋はまあ同じような感じ。
読みやすいしおもしろい、なんだけれど、なんとなくピリッとしない・・・気がしないでもない、うーーん、よくわからん。
いや、なんでしょうね、なんとも説明しがたい中途半端な気分。
ま、あまり深掘りしないことにしよう、うん。
あ、でも、一つだけ気づいたことがある。(といっても、本作に関してではないので横道に逸れるが)
年末年始にかけて『みをつくし料理帖』シリーズを読んだときに、なにか引っかかる部分があるんだけれど、それが何かよくわからなかった。
で、この『黒武御神火御殿』を読んで、「ああ、そういうことか」と思った。
江戸っ子の話し言葉ですね、それがすんなり私の頭に入ってこなかったってことらしい。
私は昭和の生まれだから、当然江戸時代の話し言葉を直に聞いたことはない。
大体が時代劇とか時代小説で見知ったことだから、そこが基準になっている。
それと、東京生まれで東京育ちの友人、そのご両親などの話し言葉、いわゆる江戸っ子(三代続いて江戸(東京)生まれ)と呼ばれる人の書いた随筆などから想像しているに過ぎないのだが。
ま、そこいら辺の諸々の知識だけで時代小説を読み、江戸時代の話し言葉を私なりに咀嚼していたわけだ。
で、『みをつくし〜』の髙田さんはきっときちんと調べて書かれているのだろうが、話し言葉のテンポが関西風なんだなーと、『黒武〜』を読んで思った次第。
だから言葉使いが間違っているとまでは思わないが(いや、微妙にそんな言い方はしないだろうという部分もあったが)、会話がもったりしている。関西風に言えば「もっちゃり」している話し言葉なんである。だから、主人公が大阪に戻ってからの話し言葉(関西弁)は関西風にテンポよく進んでいる(と、私には感じられた)。
宮部さんは東京生まれの東京育ちだから、お年寄りの話し言葉も耳にしているだろうし、なにより、「東京の会話のテンポ」というのが身についている。
だから、宮部さんが関西を舞台にして関西弁での会話を書いたら、きちんと関西の会話のテンポになるかは微妙だろうと思うわけでして。
ということで、時代小説の場合、舞台がどこであれ無理にそこの方言を使わないのはこういうことなんだろう、と思ってしまった。
たとえば、白石一郎の「十時半睡」シリーズは福岡藩が、藤沢周平は海坂藩(現在の山形県)が舞台になることが多いけれど、方言は時として出てくることはあってもほとんど使われていない。(まあ、まともに使ったら注釈ばかりになることも大きな理由だろうが)
その土地の言葉のテンポというのは、その土地に住んでいる人じゃないと、なんとなくおかしなことになるんだわね。
言葉というのは難しいねぇ。