日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

70冊以上読んだ・・・かもしれない

2月から東野圭吾さんの本を集中して読んでいる。
最初は卒論提出後の気分転換に読んでいたのだが、途中からは発行順にしっかり読んでみようと思い立ち、図書館で順次借りて読んだ。こんなに一気読みしたのは池波正太郎以来かと思う(でも、全てを読んでいるわけでもない。全集を買ってほぼ読んだ・・・という程度だけれど)


作品についての感想は、まぁ、おもしろいのもあればそうでないのもあり・・・という当たり前なところ。
ただ、東野作品は映像化されているものも多いので、ついつい俳優の顔がちらついていけない。(直近だと《ラプラスの魔女》)
やはりそうなる前に読むべきだろうな、きっと。


で、それはそれとして、気付いたこと。
私は東野圭吾が大阪出身だということは知っていたが、もしそれを知らなかったとしても、この人は関西出身だと気付いただろうと思われる箇所が散見されること。
大阪弁の作品のテンポの良さはその最たるところなんだけれど、それ以外に「おられる」という言葉使いを読むとなるほどな、と思ってしまう。
「おられる」は「いる」の敬語になるわけだけれど、関西の物語なら違和感はない。しかし、関東地方だと、「おられる」はあまり使われない。「いらっしゃる」が多いと私は認識している。
「おられる」は敬語として間違ってはいないけれど、東京で生活している私は、その言葉を使っている人をあまり知らない。ごくたまに関西出身の友人が使うのを聞く程度。


けれど、東野作品の中では、関東出身で関東(東京)在住の人でも「おられる」を使っている。「いらっしゃる」を使っているのを読んだことがない(と思う)。追記:宮部みゆきも小説の中で「おられる」を使っていました。宮部さん、生粋の東京人・・・。でも、実際口にしている人は関東ではやっぱりあまりいないような気がする。10/31
敬語として間違っているわけではないから編集者も注意というか、進言することがないのだろうが、読むたびに違和感をおぼえる。
だからなんなんだ? 作品との出来とは無関係ではないか? と思うから文句を言う気はないけれど、ああ、関西出身の人なんだなと思った・・・それだけの話です。