東野圭吾『虚ろな十字架』再読
単行本は2014年刊行。その時読んだのだけれど、再読した。
ほとんど忘れていたらしい。
あるいは途中で嫌になって最後まで読まなかったのかもしれない。
最後まで読んでこんな話だったのかと驚いた。
ハッキリ言って、大変不愉快な作品だった。
東野圭吾の作品『手紙』と同じくらい不愉快だった。
『手紙』は犯罪加害者(殺人者)の親族の視点に立って書かれている。
『虚ろな十字架』は犯罪被害者(殺害された)遺族、犯罪加害者(殺人者)とその家族など、いくつもの視点から書かれた小説。ポイントは死刑廃止について是か否かについて、そして、犯罪者が罪を償うとはどういうことなのかについて、多くのページを使っている。しかし、ここでは東野圭吾自身の明確な答は出ていない。
ここから先、ネタバレになります。
クライマックスで、殺人者の妻が「彼はたくさん苦しんで、たくさんの償いをしてきた。たくさんの命も救ってきた。刑務所に入れられても反省しない人もたくさんいる。夫はその人達よりもずっと重い十字架を背負ってたくさんの償いをしてきた。ただ刑務所にいるだけの人と夫のような人では、どちらが真の償いをしてきたと思うか」と泣き崩れるシーンでは、しらけただけ。ちっともこちらに響いてこなかった。
殺したのはたった一人だけ、救ってきた命は数え切れない・・・といくら力説されてもなー。それを泣きながら言われた犯罪被害者の身内(娘がこの殺人者とは別の人に殺害されている)が、「私には何が正解なのかわかりません」って引き下がってどうする!
過去の殺人を(隠しつつも)悔やんで罪の償いをしてきたなんて言ってもそれで罪が消えるのか?
自首して刑務所に入ったけどろくに反省もしない人よりは、犯罪を隠して誠心誠意贖罪する人は正しいってことなのか?
死刑の是非以前に、加害者が罪を認めること・・・これが被害者とその身内にとって最初の願いだろう。それがなくて贖罪って、なんなんだ。
この加害者は、加害者でありつつ被害者の身内という特殊な事例ではあるけれど。
一応、最期には自首するんだけどさ、なんだか、それがすんごく美談っぽく書かれていて、イヤーな感じだった。
とまあ、なんだかすんごく不愉快になってしまったわけです。
とかなんとか文句垂れつつ読んじゃったのは、東野圭吾の文章がうまいから? なんだろうか・・・。
推理小説年鑑『ザ・ベストミステリーズ2015』本格ミステリ作家クラブ選・編の中に、『死は朝、羽ばたく』(下村敦史)という作品がある。
ここでも死刑の是非が問われている。こちらは刑務官の視点で書かれている。