日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

実家は暑かった(´〜`;)

5日(日)に実家で法事があったので3日から帰省し、今日帰宅した。
連日の猛暑は実家も同じで、しかも実家にはエアコンが1台しかない(それも父の寝室)。朝夕は涼しいが昼の暑さときたら。。。。
扇風機を回したってぬるい風が吹いてくるだけさ〜。
朝早く起きてお墓の掃除、庭の掃除など、日中にはとてもできないことを片付けて、あとは家の中の掃除と洗濯。夕方になってやっと涼しくなってやれやれとご飯の支度をすれば今度は虫が入ってくる。


亡くなった私の祖母の25年祭(実家は神道なので5年ごとに年祭という法要がある)だった。
仏教では33回忌を法事の締めくくりとすることが多いようだが(稀に50回忌もあるらしいが・・・)、神道では30年祭をもって締めくくりとすることが多い(らしい)。
祖母の30年祭まであと5年、しかし父も病気がちで5年後まで待っていられないということになったらしい。(父の弟妹だって皆それぞれ年を取るわけだしね)今回の25年祭で締めたいということになった。
もっとも私は33回忌も30年祭も実家の近辺であまり聞いたことがない・・・13回忌とか10年祭くらいまでかな。(私が知らないだけで、きちんとやっているお宅があるはずなんだけれど)
それ以上になるといろんな意味で大変だしね。


孫は私だけ参加(一応本家の長子として)、子ども達だけでの法要となった。
で、父の弟妹が全員集まったわけでその賑やかなこと賑やかなこと。父が長子だから皆父より年齢が若いのだけれど、それにしても一人も欠けていないというのが凄い(配偶者は私の母と2番目の叔母の夫が亡くなっただけ)。
これで孫や曾孫、祖母の実家の親戚まで参加となったら私の負担が半端ないので(法要は会場を借りたが、お墓が実家のすぐそばだから、必然的に実家に集合する)、数十人が集合するわけで、考えただけで目眩がする。
ーーーそういえば、亡くなった曾祖母の米寿のお祝いには一族が集まったので、本当に大変だった。あの頃はまだ母や祖母が元気だったから、私はそれほどでもなかったけれど、それでも大変だった記憶があるーーー


そんなこんなで暑い暑い最中の法事となったがなんとか無事に終わり、後片付けをして帰宅した次第。
ああ、疲れた。。。


ところで、私が卒業した小学校が今年閉校となった。過疎化が進み、市内の別の小学校と統合となったからである。
そこで閉校記念事業の一環として記念誌が発行された。
私はもちろん、叔父叔母も記念誌を注文し、それがちょうど前月末に実家に届いたので、皆でそれを見ながら昔話に花が咲いた。


明治21年1888年)に開校した母校は2018年閉校、130年の歴史と伝統に幕をおろした。感無量。
記念誌を開いて、久しぶりに母校の校章と校歌を見た。校歌は昭和37年(1962年)制定、校章はいつからか不明だが、私が入学したときにはもちろんあった。そのままどちらも変わらずに閉校となった。
今回あらためて校歌の歌詞を読んだら、とても美しい歌詞で感動した。小中高と校歌はそれぞれ歌っていたが、小学校の校歌だけは今でもきちんと歌える。6年間は長かったし、それだけ歌いやすいメロディでもあったのだろう。(中高は、そらでは思い出せなく、歌詞を見ればメロディも思い出せるというレベル)


今井福治郎作詞 石黒一郎作曲


  一夜のあらし 名残なく
  晴れしすがしさ 日輪の
  輝く光り 我を見よ
  長薙台に 雑りなき
  花を咲かせん 日本の花を


  入江に広く 父母の
  墾きし稲田 白鷺の
  憩える見れば 清らかに
  明るく生きん 夢もちて
  絶えず進まん 苦しき時も


  世界にひびく 貝塚
  遠き祖より 伝え来し
  深きまじわり みどり濃き
  大地の上に 湧く雲の
  盛り上げ行かん 心を合わせ


今井氏の詞はこうして読むと小学校の校歌としてはかなり堅苦しいが、当時としては普通だったのだろうと推測している。ただ、校名が詞の中に入っていない。地名すらも「長薙台」と「貝塚」しか入っていなくて、それも町名、校名とは関係ない。一見しただけではどこの校歌かわからないというのは校歌としてどうなの? という声もあるかもだけれど、スマートだわーと思うし、結構好き。
私は詞の内容などほとんどわからずに歌っていたような気がするが、「ひとよのあらし なごりなく」と「はなをさかせん にほんのはなを」の部分は特に鮮明に憶えている。一番は二番三番より多く歌っていたわけだし、とても綺麗な歌い出しなので印象に残っていたのだろう。

石黒氏は、当時千葉県下の校歌を大分依頼されたらしく、調べると結構残っている。


記念誌には保存されていた歴代の卒業写真が掲載されている。父や叔父叔母、私と妹の写真もあった。ほんとに懐かしい。田舎の子どもだった私がまんま残っている。
長男にみせたらクスッと笑われた。全然変わってない・・・と。
褒め言葉として受け止めることにしよう。


小学校の校舎や施設は、今後何に利用されるかまだ不明だという。
どうなるんだろうか。