日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

課題1,合格

先週提出した博物館資料保存論課題1が戻ってきた。
A4の課題指導用紙にびっしりと、鉛筆で書かれている。
そのほとんどが、私が書いたレポートに対してというよりも、先生が個人的に感じたこと、考えたこと・・・のように感じられ、まるでエッセイのような文であった。


課題1のレポートを私は朝倉彫塑館で書いた。
朝倉彫塑館はこのブログでも何度か取り上げたが、個人的に好きな美術館で、これまでに博物館教育論、博物館実習の通信課題でも取り上げた。
どうやら先生もお好きらしいが、「好みの施設であった、と言った方が正確かもしれない」とのことである。その「・・・であった」と過去形になっている理由を述べられている。長文で書かれた講評は、先生がそれだけ朝倉彫塑館に愛着を持たれていたことの証しであろう。
時代と共に、美術館、博物館のありよう、来館者への対応の仕方も変化している。朝倉彫塑館もご多分に漏れず、制約は以前よりも多くなっている。(それでも、私などは他の美術館、博物館に比べれば、緩く感じられるのだが)以前の朝倉彫塑館の雰囲気が好きだった人は、先生のように残念に感じることが多いだろう。


博物館の大きな役割の1つに、収蔵している資料を保管・保存して後世に伝えることがある。その一方で、資料展示という、保存・保管とは矛盾する行為も行わねばならない。その矛盾を最小限に抑えるために、保全の知識、保管方法に関する知識を学ぶのが博物館資料保存論である。
レポートを書いていて、博物館側の資料保存のためのあれこれ(来館者に資料を良い状態で見せるためでもある)と、来館者側が望む自由な雰囲気との乖離にどう折り合いをつけるか、悩む部分であった。
それは博物館学全体に言えることでもある。


先生はそういうジレンマというか、雑感を含め長文を書いて下さったのだが、さて、私のレポートに関してはどう感じられたのかというと、これがよくわからない。それは採点を見ればわかるでしょうということだろうか?

時々、このようにレポートについてというより、先生ご自身の考えたこと・・・のような添削文をいただく。私はそういう文を読むのが嫌いじゃない。