台風15号の被害
9月9日、明け方、千葉付近に上陸した台風15号は関東地方に大きな被害をもたらした。
特に千葉県の被害は大きかった。
テレビで千葉県の被害が大きかったようなので、実家に電話をすると、父が、離れが大変なことになっていると言う。
でもその時は電車は不通、高速道路も通れなかった。
10日になって高速が通れるようになって、高速バスも走っているとの情報で、急遽午後から実家に行った。
いやーー、想像以上の惨状だった。
母屋は大丈夫だったので寝泊まりするところはあるが、停電のため冷蔵庫やIHクッキングヒーター、電子レンジが使えない。幸いなことに断水は免れたし、太陽熱温水器のおかげで風呂も入れたから、まあ、なんというか、不幸中の幸い?
しかし離れはホントに惨状ですわ。
西側の壁は外側にトタン張りで、2階部分が強風にあおられてブッ飛んだ。内側のモルタルもブッ飛んだ。すると西側の廊下、8畳間の天井に風が吹き込み天井板が内側(部屋)に向かって壊れた。風はそのまま南側の廊下に吹き込み、南側の掃き出し窓が雨戸2枚とサッシ3枚がブッ飛んだ。ついでに風の通り道に置いてあったタンスもブッ飛んだ。
それが明け方の5時頃だったらしい。その時点で停電にもなったらしい。
一人暮らしの父は、風雨がおさまってから庭に出たら、雨戸やサッシ、割れたガラス、タンスとその中身が庭一面に散乱していて、茫然とした(らしい)。
以下時系列で、
9日・その日のうちに近所の方達が庭の大きなゴミ(雨戸やサッシの枠)は片付けて下さったとのこと。(庭の片隅に寄せてくれた)
10日・夕方私が実家に到着。離れの2階に上がって、剥がれたトタン、サッシのなくなった窓、2階の部屋の散乱状況を確認。なんにもできない状態。
11日・埼玉と茨城の叔父が駆け付け、私・父・叔父2人の4人で片付けを始める。午後罹災証明書を発行して貰い、ゴミ出し開始。小型トラックで1回、ゴミ集積場に運ぶ。夕方雷雨。
12日・引き続き離れの片付け。小型トラックで4回運ぶ。父は病院へ(定期検診)。
13日・朝から昼まで、近所の親戚の叔母さんに実家に入る坂道と裏庭のゴミ掃除をしてもらう。(落ち葉や木の枝、2階からのゴミが散乱していた)
私は裏庭に穴を掘って冷蔵庫内の食物とここ数日の生ゴミの処理。冷蔵庫の掃除。
叔父達は引き続き離れの片付け。小型トラックで2回運ぶ。これでほぼ、離れ2階のゴミは運び出した。トタンが剥がれた西側の外壁にブルーシートを張る。
茨城の叔母が来てくれたので、昼ご飯の買い出しをしてもらう。午後、叔父達がそれそれの自宅に帰宅。その後、私は庭掃除。
14日・停電が長引いているので大きな洗濯モノが溜まっている。私自身の服や、タオル類はなんとか手で洗っていたが、シーツやバスタオル、父の作業着など、手で洗うのが辛いものが溜まっている。なにしろ9日から12日まで毎日暑くて、汗だくになっているから、もうこれ以上洗濯モノを貯め込むのは危険なんですわ。そして片付けで頭がいっぱいでコインランドリーというものの存在を忘れていた。やっとコインランドリーの存在を思い出し、洗濯物を袋に詰め込んでコインランドリーに行く。(市街地の電気は早い段階で復旧していた)
午後は離れ2階のボロボロになっていた障子の紙を剥がし雑巾で綺麗に拭く作業をしていたが、全部で16枚のうちの6枚がやっとだった。
民生委員の方が、非常食(アルファ米)を届けてくれた。独居老人の家だけ、3袋ずつの配給。
15日・実家の裏のお墓への道が木の枝や折れた竹などでふさがってしまったので、近所の男衆で片付け。
私は昨日に続き障子紙を剥がして障子の掃除。4枚やったところで父の従兄が応援に来てくれた。父の従兄は母屋の壊れた瓦の修理(10枚くらい)と飛んでしまったサッシのところにブルーシートを張ってくれた。ブルーシートを押さえるための土嚢作り。いやー、土嚢なんて初めて作るので、袋の口の縛り方がわからない。父の従兄に教わってつくっているうちに覚えた。土嚢作りなんてこの先することがあるんだろうか? この経験が役立つことがないように祈ってしまうわ。作った土嚢14袋を2階のサッシがブッ飛んだ窓のところまで運ぶ。
これで一応ある程度の片付け、応急処置ができたので、私も自宅に戻ってきた。
あああー、ホントに疲れた。
少し自宅でゆっくりして、お彼岸にはまた実家に行かなくてはならない。なにしろ叔父や叔母がやってくるからお接待しなくてはならない。こんな時に来てくれなくてもいいよ、と思うけれど、叔母達は毎日心配して電話をくれたわけで(イヤ、それも実際は少々迷惑なんだけれど)、お彼岸には行くからねと、言われたしなーーー。叔父達は一休みしたらまた片付けを手伝うよ、と言ってくれたからまだいいんだけど。
まあそんなこんなの一週間でした。
ああ、それにしても電力はいつ復旧するんだろうか。
同じ市内でも大分復旧しているのに、実家付近は連休明けもまだ怪しい。さっきテレビを見ていたら20日を目途に・・・らしい。それもまたズレ込むんだろうか。仕方がないとは思うけれど、長引くと父の健康が心配。
追記:たった今父から電話があり、電気が復旧したとのこと。ああ、良かった。一安心。(PM 10:00)
BS1スペシャル「バレエの王子になる!“世界最高峰”ロシア・バレエ学校の青春」
NHKのこの手の番組が好き。以前、同じ学校の女子の様子を描いていたが、今回は男子。
おもしろかった。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=20090
↑密着取材を行った高橋ディレクターのお話。
いやー、厳しいねぇ。
昔、山岸凉子さんの『アラベスク』を夢中で読んでいた時の記憶が蘇りました。
番組では卒業を控えた4人の男の子にスポットを当てている。
ミーシャ、マルコ、アロン、キリル。
この中のキリルは抜群の容姿で、モデルのバイトをしていている。vogueロシア版の表紙にもなったりするほど。
ベラルーシ出身の彼は親に金銭的な負担を望めないので、バレエに掛かる費用を自分で稼いでいる。時には実家に仕送りもしているとか・・・苦学生ってことですな。
しかし、なんというか、あまりに恵まれた容姿ゆえか(?)、練習にはあまり熱心ではない。しかも国家試験の前日に発熱、試験中にフラフラになっているキリルに、立て、立つんだ! と校長先生が叱咤激励。あーーー。スポ根ドラマだよ。泣けるね。
いや、そんな茶々を入れるような番組じゃない。
すんごく真面目な番組。
抜群の才能を持つミーシャ、学年2番の成績ながらなかなか入団試験に合格しないマルコ(最終的には第一志望のマリインスキーバレエ団に合格!)、才能もあるし、努力も惜しまないが、身長が低いという、努力ではどうしようもない欠点を持つアロン、そして容姿端麗ながら練習嫌いのキリル。
「この世界では奇跡は起きない! 才能もコネクションも何の意味もない。努力しか踊り続ける術はない」「努力、努力、努力」「ダンサーは舞台で美しく輝く泡しか見せてはいけない。泡の中には血と汗と涙が浮かぶ」
これ、校長のニコライ・ツィカリーゼ先生のお言葉。
番組中、「努力」という言葉が何度も何度も出てくる。本当に、これでもか!っていうくらい出てくる。
だから校長先生は練習嫌いのキリルが歯がゆくてならない。抜群の容姿だけに努力すれば花形ダンサーになれるのは間違いないのに。。。。って思うんだろうな。
結局キリルはボリショイバレエ団にきまり、他の3人はマリインスキーバレエ団に、という、まあかなり順当な結果となった。いや、キリルのボリショイバレエ団には驚いたが、華やかな舞台が売りのボリショイにとって、キリルの容姿は技術以上に魅力的だっただろう。舞台に立っただけでも華がある、そういうスター性があるもんね。
しかし、校長先生じゃないけれど、いくら容姿が良くても努力無しには王子様にはなれない。本人も卒業コンサートで役を降ろされて、ようやくそれがわかってきた(らしい)。
だから降板させたのは、校長先生の最後の愛情、教えだったのかもしれないなーーーーなどと呟いてみたのだった。
後の三人はきっちりそれぞれの(ケガや病気がなければ)、自分の目指す道を歩いていくんだろうな、と思えた。
キリルは、バレエで活躍できるようになれるのか、あるいは別の道に進むのか、どうなるんだろうね。ちょっとわからないけれど、どうなるのか気になってしまう、そういう魅力のある男の子だった、という話。
『ノースライト』横山秀夫著を読む
横山秀夫、久々の新作。図書館での順番待ちで今になった。
初出は『旅』2004年5月、6月号、11月号〜2005年12月号、2006年2月号だそうだ。
単行本になるまで13年もかかっている。どうしてそれほど時間がかかったのか、理由はわからないが、刊行にあたり全面改稿したと書かれているので、かなりの熟考と推敲をしたんでしょう、きっと。
今作は警察小説ではなく、建築士・青瀬が主人公の話。ミステリーと言えばミステリーなんだけれども、どちらかというと家族の話、と言っちゃって良いかと思う。
警察小説を書いていた人だから、素人(今回は建築士)が地道に調べても必ず壁にぶち当たる、という、かなりリアルな進行。
テレビドラマや、いい加減な推理小説みたいに、素人が警察を出し抜いて謎を解決するなんてことにはならないわけで、だから今回の謎は素人がなんとか解き明かせる程度の謎だと思ってよろしい・・・かも。だから謎解きが主軸ではないということ。
ノースライト(North light)は、建物の中に北側から射し込む穏やかな光ということらしい。北の明かり、くらいの意味らしい。
その、北からたくさん光を取り入れている家が物語のメインとなる建造物。これは主人公が設計したY邸。
もう一つ、物語の柱となる建造物があり、こちらは最後まで建造されてはいないが、故人となった女流画家の記念美術館。この美術館の設計のコンペに、主人公の所属する設計事務所が参加しようと奮闘する。
で、Y邸の設計を依頼した人間の謎には、ブルーノ・タウトが絡んでくる。
ブルーノ・タウトはドイツ出身の高名な建築家で、日本には1933年から3年半滞在している。このブルーノ・タウトに関する記述がかなり多い。横山さん、よほどブルーノ・タウトに心惹かれるものがあったのか?
建築に興味のある人、ブルーノ・タウトが好きな人にとっても、おもしろい小説になっていると思う。
それにしても、文字で建造物を表すのは難しいねぇ。建築の知識がない私には、想像力をフル回転させてもなかなか映像が見えてこない。ぼんやり想像するだけ。
桃のコンポートを作ってみた
昨日、近所の八百屋さんで桃を買った。
品種は「あかつき」山形産。
桃はいつもスーパーで買っている。ちょっと高級食材を置いている、そうだな、成城石井みたいなスーパーだと言えばわかりやすいかな。
で、そのスーパーの桃は高いが間違いなく美味しい・・・だったのだが、数年前、ひどくまずい桃だったことがあった。硬いし、甘さも少ないし。信用して買っただけにひどくがっかりした覚えがある。
それで懲りてしまって、ここ数年桃を買いたいと思わなかった。
でも今年は久しぶりにそのスーパーで買ってみた。やわらかくて、皮がきれいにむけて、種の身離れもよく、美味しかった。うれしい。あの年だけ変だったのか? それはわからないけれど、とにかく美味しかった。
そして、やっぱり高い。(千疋屋さんほどじゃないよ、さすがに)
美味しい桃をお手頃値段で食べたい。
八百屋さんならお手頃値段で売っている。しかし、味はどうだ? (桃って手に取って匂いを嗅いだりするわけにはいかず、そして見た目じゃ味がわからんのだよ、私には)
散々迷って「あかつき」3個入りを買った。
「あかつき」は硬めの桃だけれど、おいしいよ! と八百屋のオジサンが力説したから・・・。
さっそく夜、1個剝いてみた。しかし、ホントに硬かった。ごりごりするし、甘みも少ない。
夫と息子、私は思わず顔を見合わせてしまった。
いかん、これは生で食べられない。(「あかつき」の名誉のために言えば、熟れていればちゃんとおいしい桃なのだ。高級桃の部類だし)
しかたがない、コンポートにしよう。。。。と、やっとここでタイトルのところに行き着くわけです。
それで2個目を剝いたら、こちらは熟れていて甘くて美味しい。しかし3個目はやはりダメだった。こういう当たり外れが大きいからあの八百屋さんで買いたくなかったんだよ、とブツブツ言っても遅いさ。買った私がバカだった。(その八百屋さんの名誉のために言えば、他の果物や野菜は安くてソコソコ美味しい。桃だけがいつもダメなんだよ)
で、2個目の美味しい部分だけ夫と息子に食べさせて、残りはすべてコンポートにした。
たしか、数年前、まずい桃だったときもコンポートにしたんだった。
一応ネットでコンポートの作り方を検索。
すると砂糖で煮るだけなんだけれど、綺麗な色に仕上げるためにレモン汁が必要らしい。
でもレモンがない。すでに桃の皮は剝いてあるし。(作り方も確かめずに始めるところが私らしい・・・)
レモンがなければ、りんご酢でもいいらしい。でも、りんご酢もない。米酢じゃだめだよね(笑)。いや、少量なら良いか、とかなんとか、私の少ない脳味噌で考えた。つまりクエン酸が入ればいいんでしょ、と。
それで思いついたのは、梅酒。あれを少量入れればいいじゃん、あ、そうだ、梅ジュースも作ったのが冷蔵庫にあったよね、あれも入れてみよう。
ということで、桃に対して約30%の砂糖、300ccの水、大さじ一杯の梅酒と、やはり大さじ一杯の梅ジュースで煮てみた。
おお、美味しそうにできたじゃないか。ほんのり梅の香りもして爽やかだよん。
さっそく今朝、ヨーグルトに入れて食べたら美味しかった。
これ、桃を細かくして、少し煮汁も加えて、炭酸で割ったらきっとうまいに違いない。
なんか嬉しくなった。
桃の季節が終わる前に安い桃をまた買ってきて作ろうかなーとか考えている。
灼熱の日々、ニュージーランドから姪がやってきた
1月に来た姪が、再び来日した。
今回は父の誕生日(8月)のお祝いに、ということだった。
父へのプレゼントはシープスキン、ウールのキャップ、靴下など、さすが羊の国、ニュージーランドですわ。
いや、それにしても、日本は暑いよ、特に東京は地獄の暑さだよ、と姪にも妹にもメールに記しておいたけれど、来るまでそれがどんな暑さなのかは想像外だったようだ。姪は、こんな暑いとは、、、、と驚いていた。
特にニュージーランドは今、冬ですからね、日本の暑さは辛かったと思う。
あまりに暑いので、東京でも実家でも、どこかへ連れて行ってあげたくても私の体がついていけない。
実家は東京よりは少しだけ涼しいけれど、それでも連日の猛暑だ。しかも実家には父の部屋しかエアコンがない。。。。どこかへ行くにも、車の運転だって暑いんだよ。
時々ショッピングセンターに行って涼むくらいが関の山。
それと、お盆前だから早朝にお墓掃除を手伝って貰ったりして、それ以外はグダグダしているしかない。
そんなこんなで一週間、相変わらず片言の英語と片言の日本語の会話で、それでもなんとか意思の疎通をはかりながらの一週間が過ぎた。
なんだか、こんなで良かったのかしら? と思ったが、しかたない、こんな暑い最中にきたんだから、と開き直る私。
でも、毎日とても楽しかった、と姪からメールが来たから、あんなでも喜んで貰えたようだ。
そもそも観光ではなく父に会うためだったのだから、目的は達成したわけで、グダグダの日常生活もおもしろかった(?)かもしれない。
姪は今日の夜の便で帰国する。
昨日は新宿のホテルに泊まり、今日は新宿で買い物をして成田に向かうらしい。
自分の買い物の他に、母親(私の妹)、彼氏、友人たちからいろんな買い物を頼まれ、それらを無理矢理押し込んだキャリーケースを引きながら、荷物でふくれあがったバッグを肩からさげて、日本を発つ。
この一週間、私のみならず、父も姪もそれぞれ気を使って疲れただろうが、それでも楽しかった思い出もたくさんできた。無事に過ごせた安堵感とともに、一抹の寂しさを覚える。
また、元気に日本に来てね。(でも、私があちらに行こうとは思わない・・・)
新しい掃除機を買った
10年くらい前に買ったシャープの掃除機が大層お疲れ気味になった。
動いちゃぁいるんだよ。でも、ホースが破けてきた。取りあえずビニールテープでグルグル巻きにして応急処置をしたけれど、テープで巻いた外側も破れてきた(>_<)。
ホース交換しようにも、すでに製造中止で在庫もない(らしい)。
それにホース交換でも5000円以上かかる・・・ならば新しい掃除の方がいいんじゃネ?
ということで、前回同様シャープサイクロン式掃除機の新型(でも、最新じゃない)をアマゾンで注文。使い勝手はほぼ一緒。しかも前回のアタッチメントの一部(すきまノズル)も使えるよう、そのための部品も付いていた。
ピカピカだよ。古い掃除機はこんなに汚れてたんだと再確認、とほほ。
さっそく使ってみたら、すごい吸引力。ああ、気付かなかったけれど、吸引力も落ちていたんだなー、と思った。
これからまた10年(?)、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
ホテルオークラでの結婚披露宴
昨日は、以前、というか、10年ほど前に勤めていた会社の後輩の結婚披露パーティだった。私とその後輩が一緒に働いたのは、たぶん1年ほど。しかも私が退職してから10年も経っているわけで、招待状が送られて来た時は、驚いた。
驚いたし、悩んだが、せっかくのご招待なので出席することにした。
親族以外の結婚式(披露宴)はずいぶん久しぶり。
たぶん(親族以外のは)もう最後だろうな・・・なんて思いつつ出席した。
あいにくの雨だったので、着替え持参で出かけた。
地下鉄一本で行けるとは言え、一張羅(?)の靴を濡らしたくないし。
都心はけっこう坂が多くて高低差のある地域が多い。オークラのあたりもしかり。
私は六本木一丁目駅を利用したのだが、そこからかなり登る。
で、雨は降っているし、タクシーかなーと考えつつ出かけたのだけれど、泉ガーデン側に出ると、登り切るまでずーーーーっと屋外エスカレーターが続いている(5段くらいに分かれている)。しかもほとんど屋根付き。
ということで、登り切って少し歩いたらもうスウェーデン大使館だよ。あらら。こんなに近かったっけ? などど思いつつ、間もなくオークラへ。
着替え室で着替え、ロビーでボンヤリしていたのだけれど、タバコが吸いたくなってきた。しかし、このご時世、全館禁煙だったりして・・・と思ったけれど、一応聞くだけ聞いてみた。
そうしたらちゃんとあるんですね、喫煙室。
で、トコトコと行く。
喫煙室って、喫煙者がみな集まるから煙モクモクで臭いんだよね、でもしかたないよね。
なんて思いつつ行ったのだけれど、さすがオークラ(笑)、全然そんなことはない。
綺麗だし、匂いは残らないし。ま、それに喫煙者自体が減っているのかもしれない(知らないが・・)。
共通の知人がほとんどいない結婚式に出席するのも初めてで、そういう意味ではちょっと辛いかなーと思っていたけれど、隣席のご夫婦がとても感じの良いお二人で、3人で話が弾み、思いがけず楽しく過ごすことができた。おしゃべりな私が2時間も誰とも話さずチンマリと座っているなんて、そりゃあきっと辛かったに違いないモンね(笑)。良かった良かった。
新郎新婦は幸せそうにニコニコしていたんで(まあ、当たり前っちゃ、当たり前だけれど)、なんかほっとしたわ。
私は新郎側の知人としてお招きされたんだけれど、新郎と私は親子ほども年齢差がありますから、親か、年の離れた姉みたいな気持ちでお二人を眺めてしまいましたね。
とても人柄の良い彼には幸せになって欲しいなと常々思っていたので、幸せそうなお二人を見ていたら、しみじみ良かったなーーーと思ったのでした。