日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

横浜能楽堂で能鑑賞

平家物語の世界

演目

平曲「実盛最期」須田誠舟(薩摩琵琶)

狂言「月見座頭」野村萬斎 高野和憲 

能「実盛」櫻間右陣

 

ムサビ通信時代の友人と観劇に出かけた。

毎度の事ながら、どうも能の良さがわからない。狂言はまだわかりやすいから楽しめるのだが・・・困ったモノだ。

平曲を生で聴くのは初めて。たぶんそうなるだろうと予想していたが、やはり寝てしまった。すみません(←誰に謝っているんだか)。

能を観るたびに、演劇史のレポートで酷評をもらったことを思い出す。

そうだろうそうだろう、何回聴いてもわからないんだから、まともなレポートを書けるはずがない。しみじみ・・・。

 

ところで横浜能楽堂には2階席がある。2階から能舞台を見下ろすってどういう感じなんだろうと思い、2階にあがってみた。

 

それがこれ↓

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それで1階席からの写真はこちら ↓

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《迷宮》清水義範著 を読む

 

迷宮 (集英社文庫)

迷宮 (集英社文庫)

 

 1999年に発表された作品。

清水義範は好きなんだけれど、この作品のことは知らずにいた。

たまたま昨日図書館で見つけて、一気呵成に読んだ。

さすがの文章力。

 

内容は・・・と、そうだな、文庫本の裏表紙に書かれている紹介文を引用させて貰うことにします。

 

24歳のOLが、アパートで殺された。猟奇的な犯行に世間は震えあがる。この殺人をめぐる犯罪記録、週刊誌報道、手記、供述調書……ひとりの記憶喪失の男が「治療」としてこれらのさまざまな文章を読まされて行く。

果たして彼は記憶を取り戻せるのだろうか。そして事件の真相は? 視点の違う“言葉の迷路”によって、謎は深まり闇が濃くなりーー名人級の技巧を駆使して大命題に挑む、スリリングな異色ミステリー

 

とまあ、こんな作品です。

で、感想を書くとネタバレになってしまうのですが。。。

つまりあれだね、《迷宮》というタイトルから物語は既にはじまっていたのだと。

そしてさいごの2行、「私は、言葉を失ってしばらく沈黙してしまった。しかし、十秒ほどたって、とうとうたまらず声をたてて、くっく、と笑ってしまった。」

これがですね、迷宮への入口であり出口である、と、まあこう思えば間違いないのでしょう。

 

私はミステリーとかサスペンス小説は結構好きで、それなりには読んでいる。(ただ、好き嫌いが激しいからかなり偏っている読み方ではありますが)

で、どんでん返し、予定調和、犯人を追い詰めていく心理サスペンス等々・・・どれもおもしろければ好きなのだけれど、最近はどんな本を読んでもなんだか先(結末)が見えちゃってつまらなかった。それをこの《迷宮》は見事に裏切ってくれた。

なにがなにやらの《迷宮》に連れて行ってくれるわけで、そういう意味で清水義範の力量に感心したのだった。

似たような作品を東野圭吾も書いていたような気がするが、読後の感想はまったく違う。少なくても東野圭吾の作品に感心はしなかった。(それなりにおもしろかったし、頑張ったんだなーとは思ったけれど)

 

ただ、この作品、ホントに《迷宮》なので、感想がかなり分かれるのも頷けるところ。

 

梅干しと梅酒を仕込む

梅干しは6年ぶり、みなべの南高梅で作る。

以前はもっと気軽に毎年の行事みたいにやっていたのに、最近は覚悟が必要になってしまった。

年かねぇ、トホホ。

それはきっといっぺんにたくさん作ろうとするからだと思った。それで、今年の梅干しは3kgだけにした。

そしてまた来年3kg、再来年も・・・とすればもっと気楽に作れるんじゃないかと思った。(思っただけ)

 

私は蓋付きの琺瑯の器で梅を漬け、干した後は大小のガラス瓶に移し替えて保存し、蓋に作った年を紙に書いて貼っておく。そうして一番小さい瓶をストック用にして、少しずつ古い梅干しも取っておく。。。のだけれど、しばらく作らなかったのでそのストックもほぼ食べてしまった。

最後に残った一瓶は2004年の分だった。15年もの。

この一瓶に手を付ける前に梅干しが出来上がれば、そのまま取っておけるなー、とか思ったりした。

 

梅酒は、母が亡くなった年に実家の庭で採れた梅で作ったきりだから5年ぶり。

地植えではなく鉢植えの梅の木だったのに、たくさんの実をつけてくれた。しかし、その梅の木もその年の夏に枯れてしまった。入退院で水やりを怠ってしまったからだと父は言う。

ということで、青梅を買ってきた。群馬県の白加賀。

 

どちらも3ヶ月くらいで食べたり、飲んだりすることができる。

おいしくできますように。

 

 

 

 

 

 

 

ホットケーキミックスでPOUND CAKEをつくる

私がまともに作れる唯一のケーキがパウンドケーキ。

レシピが覚えやすいやすいからというだけの理由で。

小麦粉、バター、卵、砂糖を同分量でグルグルかき混ぜて型に入れてオーブンに入れて、ハイできあがり・・・てなもんよ。

今日も急に食べたくなった。それで、ふと、ホットケーキミックスで作ったらどうなるんだろうと思った。

ネットでレシピを検索したらたくさん出てきた。

で、その通りに作ったら出来上がった。(当たり前か・・・)

バターではなくサラダオイルを使うので、いつものパウンドケーキよりも軽い口当たりになっている。

 

さて、pound cake は、4つの材料を1poundずつ使って作ることからその名がついた。英語です。

まったく同じレシピで「quatre-quarts」というケーキがある。こちらはフランス語。

読み方は、カトルカールとかキャトルキャーとか、ま、そんな感じ。4分の1が4つという意味だそうだ。

ケーキを1とした場合、小麦粉、バター、卵、砂糖が4分の1ずつですよ、てな感じかな。

 

つまり、イギリスではそれぞれの材料を「1」と考えるし、フランスでは出来上がったモノを「1」と考える、ってことなんだろう。

同じケーキなんだけれど、名前の付け方から、その国の国民性みたいなモノが垣間見えるところが面白い。

 

 

 

 

包丁を研ぐ

結婚して間もなくの頃に買った文化包丁。奈良に行ったときに買った(と記憶している)。

名前も入れてもらったので、そこそこ大事に使っている。

怠け者だから一ヶ月に1回くらいしか研がない(>_<)。もっときちんと手入れしなくてはいけないんだけれど・・・。

で、今日久しぶりに研いだ。これでトマトもスパッときれいに切れるぞー(^^)。

 

包丁を研いでいると必ず思い出すことがある。

 

日本橋人形町「うぶけや」は打刃物の製造販売している刃物専門店。私は仕事用の丸包丁や裁ち鋏はうぶけやさんで購入していた。老舗として有名で、先代のご主人はたいそう頑固な職人としても有名だった。

一番最初にうぶけやで裁ち鋏を買ったのは35年くらい前だった。

その鋏を10年使用して少々切れ味が落ちてきたので研いで貰うために持って行った。

すると私の前のお客さんがやはり鋏の研ぎを依頼していた。

ご主人、それはそれは渋い顔で、ろくにお客さんの顔も見ない。引き受けてはくれたけれど、たいそうご機嫌斜めなご様子だった。

それで私も恐る恐る鋏の研ぎをお願いしたわけです。こちらで10年前に購入した鋏ですが、研いでいただけますか? と。

すると、私の鋏を見たご主人、さっきとは打って変わって笑顔になった。

10年、大事に使ってくれたんですね、綺麗に使ってくれてありがとう、と言われた。そして、コレ見てよ、と出してきたのが先ほどのお客さんが依頼した鋏。

その鋏がサビッサビのボロッボロ・・・。

きっと使ってなかったんだよ、こんなに錆びちゃってさ、使わないとこうなっちゃうんだよ、しまって置いた場所も悪かったのかな、とつぶやき、精魂込めて打った鋏をこんなにしちゃって・・・という無念の表情で鋏を見つめていたのだった。

 

そんなご主人だったが、それからさらに10年経って新しい鋏を買いに行ったときにはお店に出ていなかった。研ぎに出したときもご高齢だったから、体調が悪いのか、お亡くなりになったのか、それはわからない。

さらに数年経って行ったときには、おかみさんもいらっしゃらなく、当代と奥様が応対していた。

当代は人当たりも良く、職人さんというよりは商人っぽい。

良い悪いではなく、親子と言えども性格は違うだろうし、今の時代を乗り切るためには愛想の良さも必要だろうな、なんて思ったりした。

 

さて、包丁の話。

10年くらい前にそのうぶけやさんに丸包丁の研ぎをお願いしに行った時のこと。先客は若い親子連れだった。

若いパパさん、どうやら板前さんらしい。

数本の包丁を熱心に見ていたが、その中では一番高額の包丁が気に入った様子だった。そして、赤ちゃんを抱っこした奥様に「これにしても良い?」と聞いていた。奥様は「良いよ」と笑顔で答えた。それでもその若いパパさんはかなりためらっていたけれど、結局購入を決意した。

私は、心の中で「頑張っておいしいお料理を作ってね。そして奥様やお子さんを大事にしてあげて」と応援してしまったのだった。家計を考えて高価な包丁の購入をためらうパパさんと、大好きな旦那様のためにお金のことは一切言わない奥様が、とってもほのぼのしていて、かわいい赤ちゃんのためにも頑張って欲しいなと思ったのだった。

 

あの旦那様は立派な板前さんになれただろうか、あの子ももう中学生くらいかな・・・と、包丁を研ぐたびに思い出すのですよ。

 

 

 

 

 

「紙とコスト」を読み、「奇跡のレッスン 書道編」(NHK 再放送)を見る

 *紙とコスト

 

紙とコスト―COST:VALUE

紙とコスト―COST:VALUE

 

紙の専門店「竹尾」が、企画・編集協力した本。 ということで、使用している紙、装幀、デザインがいちいち納得できる造りになっている。

包装紙やパッケージなどなど、実際に商品になっている数々の作品を写真で見せ、「その紙でなければならない理由」が説明されている。

うーーん、これ、パッケージデザインの課題の時に読んでおけば良かったナー、なんて今更思ったり・・・。

造形研究コースの、「媒体組成研究」の勉強にも役立つんじゃなかろうか、と思ったりもした(私は履修しなかったけれど)。

 

と、テレビをつけっぱなしでこの本を読みながら考えていた。

テレビでは「奇跡のレッスン 書道編」を放送していた。

 

*奇跡のレッスン 書道編

中国の著名な書道家・熊峰(ユウホウ)氏が広島県の中学生に教えるという番組。

私は一応書道を習っている。10年以上もやっているけれど、怠け者だからちっとも上達しない。先生の歯ぎしりが聞こえてきそうな程ノロノロとやっている。

なぜ続けているのよくわからない、そういうレベル。(先生、すみません(>_<))

で、生徒のなかには私みたいな、やる気があるんだかないんだか、みたいな子もいるわけで、そういう子が熊峰氏の指導でどんどんやる気が出てくる。

書の楽しさに気付いたのかなぁ。

 

その中学の指導者(顧問の先生)の教え方が悪い訳じゃない。もちろん、私の先生も。

熊峰氏の指導を聞いていたら、(私の)先生と同じこと仰っている、と感じたことが何度かあった。だから、やっぱり先生はきっととても良い先生なんだ、と思った。

きっと私は先生に甘えているんだな。とても優しい先生で、こんな私にも本当に辛抱強く丁寧に教えて下さっている・・・ということをしみじみと感じた番組だった。

 

先月、加盟している書道連盟に提出した課題が優秀作品に選ばれていて驚いた。優秀作品だったことよりも、講評に「線がとても美しい」と書かれていたことがとても嬉しかった。先生がいつも仰っている「線」。キリリとした線、柔らかい線、強い線、それらをもっと意識して、といつも言われている。形よりも線ですよ、気持ちを込めて書いて、と。

 

「私達はなんのために書を書いているのか」熊峰氏は番組で氏の答を話している。

この番組のサブタイトル「書は身体がつくる/書くことは人生と向き合うこと」だった。

私も自分の言葉としてそういうことが言えるように精進しなくてはいけないなと、この番組を見ていて思ったのだった。

 

 

 

 

旧古河庭園 春のバラフェスティバル

毎年見に行くバラフェスティバル。今年も夫と2人で行った。

庭園内に入って、薔薇園が近づくともう薔薇の香りが漂ってきて、気持ちがよい。

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 ↑「インカ」

 

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↑ 庭園内のカエデ。ピンク色のはカエデの種子。最初は蒼(緑)でその後ピンクに、最後は茶色になってプロペラのような種子が空遠くまで飛んで行く。訂正:これはカエデではなくモミジでした。

 

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↑梅の実