日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

最後のスクーリング(たぶん)

15日(火)から20日(日)まで連続6日間。雨模様から始まったスクーリングは途中雷雨の日があったりしつつも、最終日は雨にも降られず無事に終了した。
去年の同じ時期、博物館実習で暑くて暑くて辛かったから、それに比べればだいぶ凌ぎやすかった。


今回は25人受講。一つの台を2人で使用した。
課題は「モノ立て」。


初日に先生から陶磁についてと今回使用する土の説明、土練りの方法、成形の工法などなどのレクチャーがあった。先生はさすがに技術がすばらしく、いとも簡単に成形していく。熟練した職人ほど無駄な動きがないので、時間もかからずスムーズに仕上げていくが、もちろんこちらはそうはいかない。
土練り(荒練り)からして、ついさっき見たのに手の動きが間違っている私。上手い下手ではなく、動かし方が理解出来ていないわけで、トホホな気分。そんなだから菊練りなんてできるはずもなく。
そもそも菊練り3年轆轤8年(とか、10年とか)言われているんだから、ちょっとレクチャー受けて、練習しただけでできるわけがない…。
などとグズグズ思いながら、助手さんに手伝ってもらって(いや、ほぼやってもらって)完了。

成形は、たたら、手びねり、紐作りの3つの成形法を学んで、3つ試すもヨシ、一つのことにこだわるもヨシ。

せっせと作ったが、どれもこれも、うーーーーん、これ焼くの? (焼いたらもう土には戻せないから)すごい土の無駄使い…な気分。

本音を言わせて貰えば、ワタクシ、陶器を作りたいと思ったことがない。見るのは好きだから、多少の知識はあるけれど、ああいうのを作ってみたいなんて思ったことがない。
もし作るのなら、本格的にやりたいわけで、土練り3年でも5年でも辛抱し、毎日お茶碗ばかり作る日々が続いても文句言わない(実際は文句タラタラになったとしても)・・・くらいの覚悟ができなきゃやらない、と思っていたわけです。
だから土練りがろくにできないのに成形しちゃうって、なにか土に対して申し訳ないような気がしないでもないわけで、ま、そんなのはうまくできなかった言い訳ですけれど。


そんなこんなで6日間のスクーリングが終わったわけで、作品はできたけれど、ハッキリ言ってどうでもいい、どうするのこれ? 的な作品ばかり(いや、他の受講生の皆さんは立派な作品でしたよ)。技術の未熟さとやる気の無さがプラスされるとこんなに酷いことになるんだという見本みたいだ。
なんかこの気分をどこかで味わったな、と思っていたが、思い出した。絵本の時がそうだった(いや、絵本の時はヤル気はあったが、技術が未熟すぎた)。皆さん立派な作品なのに、私一人どうでも良いようなしょうもない作品で、恥ずかしい思いをしたんだった。懲りずに同じことしてるよ。そりゃ皆さんは優しいからそんなことおっしゃらないが、気合いの入っていない作品しかできなかったことは、恥ずかしいことである。


この後、素焼き、釉薬掛け、本焼きは大学でやってくれて送ってくれることになっている。
6日間ずっと丁寧にご指導下さった竹田先生は、作品を是非一度は使って、できれば感想など送ってくれると嬉しい、とおっしゃったが、うーーーん、アレ使えるかなぁ。いや、デザインは凝らず(懲りたくてもそんな技術も気力もないし)かなり実用的な形にしたんだから(でもヘタクソ)一度は使ってみよう。焼いても壊れなかったらの話だが…。


さ、今日からまた仕事だ。