日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

ベストを作った

私がこのブログで課題のことを記し始めたのは3年目(2回目の2年生)の時だった。
それ以前にやった課題で思い出したことをツラツラと書いてみようかと思った。
これからも思い出したときに(不定期に)載せてみようかなと思う。


で、1年次(2012年8月)に履修したファッションデザイン。
課題は夏と秋、どちらのスクーリングを受講するかで変わる。
私は夏だった。
夏はベスト制作だった。(ちなみに秋はスカーフ、だったと思う)
課題はさまざまな素材でベストを制作すること。
通信課題(ベストの型紙)はスクーリング前に提出しなくてはならなかった。
スクーリングでは、事前に考えていたデザインを先生にみてもらい、OKが出れば制作にかかれる。
入学したばかりの夏のスクーリングで、何が何やらの状態の私は、課題の意味もよくわかっておらず、考えていたデザインは即却下だった。
しかも、材料を持って行き忘れた(まったく間抜けだった)。
せめて材料を持っていれば先生方に相談、アドバイスももらえるはずだった。
さすがに先生が、早退して明日の準備を家でやってきてもいいよ、と仰って下さった。
それもなーと思いつつ、他の方々が制作を始めるのを眺めているだけ・・・トホホ。


私は書道を習っているので、和紙(半紙)がたくさんある。それを使ったデザインを考えていたのだけれど、却下されて(色を塗ったり、ねじったりして・・・なんだけれど、それ自体は否定されなかったが、デザインがいかにもお粗末だった)どうしようかなと、ぼんやりと皆さんの制作風景を眺めてた。
それで、反古紙で作ってみようと突然思ったのだった。
仮名用の半紙は薄くて丈夫な和紙だし、反古紙の仮名文字が模様になるんじゃないか、と。
そこで、皆さんの制作風景を見ながら、それをどのようなデザインにするか、どんな段取りで制作するか、考えた。


帰宅して3時間くらい作業をして、翌日ほぼ出来上がった。
それがこれ↓

反古紙を5mm幅で折り、それを前身頃にした。

つまり、あれだ、大好きな三宅一生さんの「PLEATS PLEASE」を反古紙でやってみようと思っただけのことだ。
反古紙は何枚くらい使っただろうか・・・よく覚えていないが、たぶんたくさん。
私の下手な仮名文字も折ってしまえばわからないし、先生の朱文字も風景になる、と思ったんだね。
しかし、その発想の良し悪しよりも、皆に感心されたのはきれいに5mm幅に折った反古紙。
先生から「夜なべした?」と聞かれたくらい皆さんには大変な作業と思われたようだった。
確かに折ると面積は半分以下になってしまうし、それを裁断するので、反古紙は見えているよりもずっとたくさん使ったはずだ。しかも縦横を糊で継いだわけで、そこをきれいに隠すためにもちょっと大変だった。それでも、夜なべするほどじゃなかった。
後ろ身頃の分までやったら夜なべ仕事だったけれど、そこまでの気力はなかったし、そもそもそこまでやるつもりもなかった。


で、折った反古紙を型紙通りに裁断、後ろ身頃はフェルトで、ベストを完成させた。
ちょっと大変だったのは、反古紙とフェルトを繋げた縫い代の始末。縫い代と前身頃の紙の端の始末を金色のリボンでパイピングして、裏返してもそれが汚く見えないように、きっちりと始末した。
それらの作業を黙々とやっていたら、あっというまに終わってしまった。
一日もかからなかった。
そりゃあそうだ。縫製の仕事をしていた私にとって、材料を型紙通りに裁断して縫製するだけの、簡単な作業だった。
ミシンも用意されていたのだけれど、私はミシン糸を持って行かなかったので(糸は各自持参と知らなかった)、すべて手縫いで仕上げた(記憶があやふやなんだけれど、そう思う)。


一連の作業を見ていた助手さんにはえらく感心された。その技術が私にも欲しい、と。
その技術というほどの技術でもないよとその時の私は思ったのだけれど、正確な裁断、縫製、という作業は、私にとってはごく普通だけれど、あまり経験のない人にとってはなかなか大変だったかもしれない。
時間があまったから、スカーフを紅い和紙で作り、帽子にも反古紙で装飾した。
最終日は各自が制作したベストを着てミニファッションショー。
そりゃあ、私はPLEATS PLEASEの上下を着て、ベストを羽織りましたとさ(笑)。
その頃からプレゼンは下手だったなー(遠い眼)。


デザインは、今思えばもう少し工夫できたのにと思う。
たとえば、左前身頃だけ裾を斜めにのばしてアシンメトリーにするとか、プリーツの襟をつけるとか。
ま、後から考えれば色々できたはずなんだけれど、その当時の私は、決められた形をキッチリと仕上げることが美しい仕上げになると思い込んでいたのだからどうしようもない。
その後様々なスクーリングで、美大ってそうじゃないんだよ、とイヤになるほど思い知らされることになったわけだけれど。

そんな思い出でした。