日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

今回も詰めが甘かった

さくさくと課題を進めたいがなかなか進まない。
とか思っていたら、先日提出した造形学概論の添削結果が出た。
Web提出なので講評もすぐ読めて、ああやっぱりWeb提出は楽だし手っ取り早いと思ったのであった。
課題の意図がわかったようなわかんないような(←ま、いつものことだけれど)で、心配していたけれど、80点で合格していた。まずは一安心。


金子先生の講評はまことに理路整然と的確に書かれていた。
私は、作品の評価をめぐる事象について具体例を書きつつ「作品とは何か」をレポートした。先生の講評は、『作品に対する評価の問題が、時代の風潮などとの関係から丁寧に考察されたレポートでした。とりわけ東西や古今の事例を取り上げながらの論述は具体性に富み、美術に関する幅広い知見が伺えるものでした』(講評より抜粋)とのことだったので、レポートの方向性は間違っていなかったらしい。よかった。
ただ、「考察は丁寧だけれど、結論がわかりにくい」とのことだった。「例えばこれを『作品は○○だから××である』(○○と××にはそれぞれ、あーなるほどという文言が入っていた)というようにすると、第1節ともつながって、(作品とはなにかという問いに対する)回答がより鮮明になったでしょう」とのことだった。その○○と××を読んで、あ、そうそうそれが言いたかったの、こんなに具体的にわかりやすく添削して下さって、先生さすがだわ〜なんて感心してしまったが、感心している場合ではない(>_<)。

頭悪いというか、考えが浅いというか、もう一押しが足りないというか、あと一歩足りないというか。
などなど、反省しきり。
でもまあ、あの時点では私としては精一杯だった。

それにしても、このブログでも何度か書いているけれど、添削は先生によって随分違う。
以前、「良くできています」だけの添削ってありなの?と思ったことがあった。それって添削ではなくただの感想文だと思った。少なくても学生に対しての指導にはなっていないだろう。
逆に、意味不明の文言をダラダラと長文で書かれているのもうんざりだった。
どちらも合格したからまあいいやとは思ったが、なんだかな。



ああ、そうそう、ずっと前に一年間だけ書道の通信講座を受けたことがあった。
その時は近所の書道教室に通いつつ同時に通信教育も受けていて、添削指導の文言を読むのがとても楽しかった。
ほんの数行だったけれど、良い部分、直すべき部分が朱文字できちんと書かれていた。先生の美しい手蹟を見るだけでも勉強になった。
先日、一年分のそれを見て懐かしかった。


なにはともあれ、課題2はもう少し論理的なレポートになるよう、頑張りましょう。(頑張れるのか?)