新宿鮫シリーズを読む
百舌シリーズに続き、新宿鮫シリーズを全巻読んだ。新宿鮫シリーズはまだ完結していないけれど、とりあえず既刊分(短編集は除き)だけは全部。
1・新宿鮫 1990年
2・毒猿 1991年
3・屍蘭 1993年
4・無間人形 1993年
5・炎蛹 1995年
6・氷舞 1997年
7・灰夜 2001年
8・風化水脈 2002年
9・狼花 2006年
10・絆回廊 2011年
11・暗約領域 2019年
2021年4月より「小説宝石」にて、シリーズ12作目『黒石(ヘイシ)』を連載中。
実に30年以上。鮫島、いったい今はいくつなんだ?新宿署に何年いるんだ?などと野暮は申すまい。
ということで、一気読み。おもしろかったけれど疲れたです。
8作目「風化水脈」くらいまでは元気に読めたけれど、9・10・11作目はちょっと辛かった。おもしろいけどね。。。
ずーーーっとこの調子で、最後まで新宿署のままなのか、警視庁本部に返り咲き(?)あるいは警察庁に栄転てなことになるのか。タイトルからすると新宿署にいなくなるときは終わるときなのかね、なんてことを考えつつ、しかし人気のあるうちは終われないのかも、とか思ったり。
しかしハードボイルドをこんなに続けて読んだのは初めてなんで、なんつーか、疲れが澱のように溜まっている気分。いや、そんなでもないか。。。。
それにしても「百舌」シリーズを読んだときも思ったけれど、これだけ長い期間続いていると、当初は走って公衆電話を探していた刑事たち(新宿鮫はポケベルを携行していた!!!)が皆携帯を持ち、手書きからパソコンで報告書を書くようになり(ワープロ時代はほんのわずか)、フロッピーさえちょっとの期間で今はUSB端子と言う言葉が踊っているわけで。警察官も時代についていくのはさぞ大変であっただろう、なんて思ったりしたのでありました。
で、小説自体はきちんと時代に沿っているわけで、すると鮫島はいったいいくつなんだ?とあらためて思ったのだった。
逢坂剛の百舌シリーズを読む
逢坂剛の作品は遠い昔に一冊読んだきりだった。
すごく上手な人だなと思ったおぼえはあるのだけれど、なんとなくそれっきり読むことはなかった。
だったのだけれど、先月末、『冒険の森へー傑作小説大全12 法の代行者』というアンソロジーを読んだら、その中に『百舌の叫ぶ夜』が入っていてたいそう面白かった。
で、あらら、今まで読まずにいて損したなーという気分になり、シリーズまるごと読むことにしたわけです。
0『裏切りの日々』1981年←百舌シリーズの前段となる作品
1『百舌の叫ぶ夜』1986年←百舌シリーズ第一弾
2『幻の翼』1988年
3『砕かれた鍵』1992年
4『よみがえる百舌』1996年
5『ノスリの巣』2002年
6『墓標なき街』2015年
7『百舌落とし』2019年←完結編
『百舌の叫ぶ夜』から33年、『裏切りの日々』からだと38年かけて完結したということになる。もっとも『ノスリの巣』からはだいぶ間が開いているけれど。
で、『百舌の叫ぶ夜』と『幻の翼』はホントにおもしろかった。特に『百舌の叫ぶ夜』は何度も読み返してしまった。
なんだけれど、『砕かれた鍵』以降はなんだかつまらなくなってきて、『百舌落とし』はほとんど飛ばし読み、てなことになりにけり。
シリーズものって難しいんだなーとつくづく思った。
特に百舌シリーズはハードボイルドなので、続けて読むと辟易してくるんだよね。読み方失敗したかも。
シリーズものだって続けて読んでもただひたすら面白いものだってあるのになー(鬼平犯科帳とかさ)。
うーーーん、これから大沢在昌の『新宿鮫』シリーズを一気読みの予定なんだけれど、どうなることやら。こちらもハードボイルドだよ。
読書の日々
実家と自宅を行き来する日々が続いている。
往復の電車の中で、病院の待合室で読書している。
あれこれ読んでいるけれど、最近心に残ったのは上記二作。
宮部さんの『きたきた捕物帖』は本当に久しぶりに楽しい作品だったし、青山さんの『つまをめとらば』は本当に久しぶりにしみじみとした味わいの作品であった。
どちらも大変読みやすく、するすると読めた。
還暦過ぎたらそういうのって大事。
宮部さんの方は「新シリーズ始動!」と帯に書かれているから、この先も続いていくのだろうか? それだったら嬉しいし楽しみ。
この作品では『初ものがたり』に出てくる謎の稲荷寿司屋台の親父の正体(?)らしきことが書かれている。そして主人公北一が住んでいる富勘長屋は『桜ほうさら』の主人公「笙之介」が住んでいた長屋。「笙之介」という人物名が長屋の住民たちから漏れ聞こえてくる。長屋の「太一」もちょいとだけだけれど出てくる。いずれこれがなんらかの形で関係してくるのか、あるいは単にそうなんですよと言うだけのことなのかはわからないが。
新しいパン切りナイフ
我が家ではずっとWenger(ウエンガー・スイス製)のパン切りナイフを使用している。
210mmと120mmの2本。
210mmはもう30年近く、120mmもそれより数年後に手に入れたから、かなりの年月使っていることになる。
最近、210mmのナイフの切れ味がかなり悪いと感じるようになった。
ギザギザの波刃(ギザ刃というのかな?)なので私には研げない。
夫が調べたら、それようの研ぎ器があることはあるらしいのだが、高い、あるいはあまり良くないらしい。
それで新しいパン切りナイフを買うことにした。
やはりWengerがいいかなーとかなんとかAmazonでいろいろ見ていたら、日本製もけっこういいんじゃないかと。
貝印か下村工業か迷って下村工業に決め注文、それが今朝届いた。
↑上・Wenger 210mm 下・下村工業225mm
こうしてみると刃のギザギザが全然違う。
そもそも波の付け方が違う。Wengerの方が細かい。そして波の高さも違う。
刃の鋭さは多分すり減ってしまったからだろうが、Wengerはかなりなだらかになってしまっていて、触ってもこれじゃあ切れないだろうなという感触。で、新しいナイフはうっかり触ると切れそうに鋭い。柄と本体(刃)が一体型なので、手入れも楽そう。
これからはこの新しいナイフを使うのだが、Wengerも捨てるには惜しい気分。
フランスパンなどの固いパンを切るにはちょっと、だけれど、食パンのような柔らかいパンなら大丈夫・・・かもしれない。
30年近くも頑張って働いてくれたんだもの、もう少し手元に置いておきたい。
ホットサンドメーカーを使ってみた
夫が誕生日のプレゼントにホットサンドメーカーを買ってくれた。
自粛生活の影響なのかなんなのか、ホットサンドが最近流行り(?)らしい。
いや、私が知らなかっただけで、もっとずっと前から流行っているのかもしれないが・・・。
実は私はかなーーーり昔にこれを使っていた時期がある。
まだ実家にいた頃だから、ざっと40年くらい前か。
「バウルー」という名のホットサンドメーカーだった。
で、調べたらバウルーのホットサンドメーカーが日本で売り出されたのは1970年代。ざっと40年ほどだそうで、つまり、実家では売り出されて間もなく買ったということになる。買ったのか、いただいたのか、その辺はよく覚えていないんだけれど、その頃実家には電子レンジもオーブントースターも、それどころか普通のトースターもなかったのに、何故かホットサンドメーカーがあった。
ま、あれだな、バウルーってガスコンロで使えるからお手軽な感じで買ったんだろうな。電子レンジよりトースターよりも安かっただろうし。(←知らんが、そうだったんじゃないかと)
で、私は「ホットサンドイッチメーカー」という言葉を知らなかったから、ホットサンドを作る、あの「2枚の小さいフライパンを合わせパンを焼く調理器具=バウルー」なんだとずっと思っていた、つい最近まで。
ホットサンドが流行っていると夫が言うから、バウルーのことか?と聞いたりしたんだよ。
そうしたら「バウルー」は器具名ではなく商品名だったという驚き! 何十年も勘違いしていたんだねー。
あれだね、「ゼロックス」「ホチキス」の正式名称が「コピー機」「ステープラー」だと知った時みたいなもんかね。
今回、Amazonで誕生日前に注文したのに届いたのは昨日だった。2週間以上かかったんですわ。売れてるんだねー、と夫は感心していた。
注文したのがお手頃価格のアイリスオーヤマのだったから、ということもあるらしい。
まあそんなこんなで我が家に届いたホットサンドメーカーで、今朝パンを焼いてみた。
とりあえず一番簡単(無難)なハムとチーズを挟んで焼いてみた。
おいしかったよ。
耳までカリカリサクサクに焼けて、なんだかうれしくなった。
長男は、いつもと同じパンで同じハムとチーズなのに、こんなにおいしくなるんだ! と、いたく気に入った様子。
ジャムも挟んで焼いてみた。アッツアッツのジャムがおいしい。
明日は卵でやってみようかな。
夫はあんこを挟んで焼いてと言っている。
当分我が家はホットサンドブームが続くかも。
『脊梁山脈』乙川優三郎著
乙川優三郎さん、チョー久しぶりに読んだ。
しかも現代物(とは言っても第二次大戦直後から十数年のはなしですから、一昔前ですわね)。
戦争から復員した23歳の主人公が戦後の日本をどのように見、どのように生きていこうとするのか、というお話。
うーーーん、苦手な分野だけれど乙川さんの作品だからと、相当頑張って読んだ。
本当に頑張った・・・と思う。
なにをそんなに頑張ったのかって、この小説、日本の古代史に関することにかなりのページ数を使っているから。
戦後の混乱した日本、そこはまあ予想通り。
で、まあこの主人公、戦争体験者ですから様々な屈託を抱えてこの先の自分の進むべき道が定まらないのだけれど、思いがけず父の遺産と叔父の遺産を手に入れたので復員列車で助けられた男を捜す旅に出る。(←高等遊民となる)
そこで木地師という職人の仕事に興味を持ち調べ始める。
お金と時間があるのでどんどんのめり込んでゆく。
旅を続ける主人公だが、復員直後に知り合った女性と旅の途中で知り合った女性、二人に惹かれ、しかしどちらとも結婚するわけでもなく、刹那的(←ちょっと語弊はあるかもだけれど、他に適当な言葉がみつからなかった)な付き合いを続ける。
そして木地師のこと調べるうちにどんどん古代史までも掘り進めていくことになり・・・と、まあこんな感じ。
ということで、これは戦後混乱期の恋愛小説なのか、古代史の研究書なのか、木地師と木形子(こけし)についても文献なのか、まあ、無理して分類することもないのだけれど、なんだか混乱してくるんですわ。
でも、そこはさすがに乙川さん、文章が上手だからおもしろいことはおもしろいんですよ。
で、最後まで読むと、ああやっぱり乙川さんの小説だ、最後の情景が美しい文章で終わっている。
とかなんとか、混乱した頭で感想を書いてみました。
『昨日がなければ明日もない』宮部みゆき著
久しぶりに宮部さんの杉村三郎シリーズ。初出2017年、2018年出版。
全3作
「絶対零度」
2011年、東日本大震災後まもない日本が舞台。
宮部さんがこの年を選んだのはそれなりの理由があったわけで、依頼人の夫が東京電力のグループ会社の社員(役職についている)なので、事件に関与する時間がない(知らせる気もない妻)という設定。で、最後まで依頼人の夫は出てこない。まあナンですな、夫がまともな人で、その頭でまともに考えれば私立探偵に依頼することはないだろうと思われるからね。
読みはじめてすぐに感じたのは、これってどこかで聞いたようなような話・・・ということ。この小説は初めて読んだのは間違いないのだが。
で、すぐに思い出した。「発言小町」で話題になったトピックスに似ている、ということだった。
中心となる事件、その周辺で起こる細かいエピソード、どれも「発言小町」で読んだような気がする。
もちろんそっくり同じではない。中心となる事件はあのトピックスがヒントかな? 細かいエピソードはいろんなトピックスでよく話題になっているなー、とかね。
すると、小町を読んでいて不愉快だったことを思い出してしまって、なんだか不愉快な気分になってきた。この小説でも不愉快な人が次々登場するしなー。
話としてはよくできていると思う。
たとえヒントがどこであろうとも(だいたい私がそう感じただけでホントに小町のトピックスがヒントになっているかどうかは不明だし)、それをおもしろい小説にできるかどうかは作者の力量だ。
そんなこんなでまあ読み終えたわけだけれど、不快感だけがボヤーーーんと残った。
で、「華燭」「昨日がなければ明日もない」も似たような感想。
話としては良くできているしおもしろいんだけれど、不快感が残る。
リアル、なんだろうな。
普通の日常を送っている普通の人に見える人々の裏に、あるいは底に隠された悪意。
それがいつ自分に襲いかかってくるかもしれないという恐怖。
で、この感覚どこかで・・・と思ったら、そうか宮部さんの『火車』、あるいは『名もなき毒』だ。
まったくこういう話を書かせると宮部さんは本当に怖い話に仕立てるんだなーとあらためて思ったのだった。