日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

東京駅周辺美術館、学生無料ウィーク


↑フェリックス・ヴァロットン《ボール》 1899年 油彩/板に貼り付けた厚紙 49.2×62cm



昨年に続き、本年も開催している「東京駅周辺美術館 学生無料ウィーク」、今年は三年次のスクーリングで知り合ったYさんと二人で観に行った。
三菱一号館美術館の「オルセーのナビ派展」と、ステーションギャラリーの「パロディ、二重の声 ―日本の一九七〇年代前後左右」。
昨年、美術館のハシゴをしてえらく疲れたな〜と思ったことを忘れ、またハシゴしてしまった。
ゆっくり見たつもりだが、やはり疲れた。


ナビ派展は初めて。
というか、西洋美術史を勉強したときも、ナビ派はぶっ飛ばしてしまい、知識ゼロ状態(>_<)。
だからこそ、観てみたかった。

HPの予告を見て、気になっていたのは、フェリックス・ヴァロットンの《ボール》。
2014年、三菱一号館美術館で開催された「ヴァロットン展ー冷たい炎の画家」でも展示され、話題になった作品。
あの時、観に行くことが出来なくて、ネットでこの絵を見て、実物を観てみたいと思っていたから今回観ることができてうれしい。
そして、この作品もナビ派だったのか〜という驚き。(ナビ派の知識ゼロですから…)

で、まあ、ナビ派はともかく、この絵は良かった。
なんとも不思議な気持ちになる絵。
夏の暑い日に、田んぼの真ん中に一人立っている子どもの私、を想像させる絵だった。
あるいは、やはり子どもの頃、忘れ物をして急いで家に取りに帰る途中の神社の前の風景。普段から見慣れている風景なのに、まったく別の風景に見えた、あの不思議な感覚を思い出す。
視界の遠くに大人がいるのはわかっているのに、広い世界にポツンと取り残されたような、そんな不安な気持ちを持たせる。明るいのに、妙に不安になる。そういう気持ちにさせる絵だった。


何故そう感じるのか、解釈はいろいろ。
カタログの解説では、視点が二つあるという。
少女は俯瞰、遠くの大人は横からの視点。ヴァロットンは2枚の写真を絵で合成したらしい。そして極端な明暗の対比。その不均衡な構図と明暗の対比などが見ている者を不安にさせる…らしい。
写真をもとにした絵、というのはなんとなく納得できるが、私には視点が二つあるようには見えなかった。
私の目が変なのかも知れないが。