日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』東京美術発行

スウェーデンの画家、カール・ラーションの画集。
当時のスウェーデンの日常生活が描かれてる。見ていたらケイト・グリーナウェイを思い出した。スウェーデン生まれ、フランス印象派の画家に影響を与え、ジャポニスムでもあったラーションと、イギリス生まれ、ラファエル前派の流れを汲んだビクトリア朝絵画時代のグリーナウェイ。どちらも19世紀中頃生まれ、絵本の挿絵を多数描いているという共通点はあるが、絵の特徴としてそれほど共通点があるわけではない。ただ、ジャポニスムであったラーションは、「輪郭線と簡素な色面」で描いた絵も多く(『わたしの家』シリーズなど)、それがグリーナウェイを思い出させたのかも知れない。どちらも女の子が可愛い。


このラーションの傑作とされる《冬至の生贄》が数年間日本にあったらしい。個人が所蔵していたが、スウェーデンが買い戻した。現在はスウェーデン国立美術館に収蔵されている。

↑《冬至の生贄》640 cm × 1,360 cmという大きな絵。
国立美術館の中央階段のホールに展示するため制作された絵画だが、美術館側から受け入れを拒否され、その後様々な経緯があったが、オークションで日本人が落札した。数年後、スウェーデンラーションの大回顧展が開催された際に出品、そこで再評価が行われてスウェーデンが買い戻したということらしい。
スウェーデン側からすると、ラーションが描いたときに、あるいは遺族が美術館に買い取りを希望したときに、あるいはオークションに出されたときに、買っておけば日本人に大金を払わずにすんだのに・・・。いろいろな事情でそれができなかったから仕方の無いことだけれど。


日本側から見れば、国立西洋美術館で、あるいは他の大きな美術館で買い取ってくれたら良かったのにな〜、でも、高くて買えなかったの? とか、大きな絵だから展示スペースを考えてかな?とか、いろいろ考えた。
価値がわからなかったのか、受け入れる美術館がなかっただけなのか(館の収集方針、スペース、予算等の理由で)、所有者が日本の美術館には売る気が無かったのか…わからん。


「日本は芸術家としての私の故郷である。
この地球上で、本物の芸術家といえるのは、
ただ日本人だけである。
私たちヨーロッパ人にとって、
芸術はどこか作為的で、窮屈な、
紳士気取りのものだが、日本人の間では
芸術の感性、感覚は彼らの日常的な行動の
全てに及び、些細なものにさえ添えられる風雅なものなのだ。(中略)
日本人の芸術、それは私たちには
一風変わった奇怪なものに見えるが、
未来へと永続する、はるか偉大な、
欠くことのできないものを持っている」(カール・ラーション『わたしの家族』12頁より)
[荒屋鋪透『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』98頁より引用]


絵が本来あるべきトコロに収まってラーションは嬉しかっただろうと考えられる。が、日本びいきであったラーションの傑作を日本の美術館が所蔵していたら、それはそれで嬉しかったのではないかとも考えられる。


著者の荒屋鋪透さん、どこかで聞いたお名前だと思っていたら、以前(2年生の時だったか?)履修した美術の歴史と鑑賞という科目で参考図書に使った本の著者だった。

グレー=シュル=ロワンに架かる橋―黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村

グレー=シュル=ロワンに架かる橋―黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村

課題1で私はジャン=フランソワ・ミレーと浅井忠の絵を比較したんだった。