日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

またまた

実家の押し入れから発見。
例によってこちらも賞味期限切れ。
缶詰だから問題ないだろうと、食い気が勝って重いのに持ち帰った。
千疋屋総本店ではすでに販売されていない商品らしい。公式サイトには載っていないし、アマゾンなどにも出ていない。
どうやら先月もらったような瓶詰めだけになっている模様。


私がもらってきたのは、清水白桃、バートレット・ペア-(洋梨)、ピオーネ、黄桃の4缶。清水白桃は先月の瓶詰めでも食べたので、味の差がわかるかもしれない、と少々期待している。
今日は、バートレット・ペア-をとりあえず食べてみた。
美味しいけれどやはり缶詰の味。
「缶詰の味」とやや否定的に言ってしまってから、「昔は贅沢品だったよね」と言ったら夫も頷いていた。それで二人でフルーツ缶詰の思い出なんかを少し話した。


フルーツの缶詰って、私の世代はなんとも郷愁にかられる。
特に桃の缶詰。
子供の頃、熱を出したりするとひんやりした缶詰の桃は何よりのごちそうだったし、魔法の薬だった。そのイメージがあったので、長男が子供の頃、熱を出すと桃缶を買ってきて食べさせたりもした。


フルーツ缶詰は、高くて手が出ないというようなものではないけれど、普段のおやつにするにはちょっと贅沢な品だった。(ミカン缶だけは安かったので、贅沢品のイメージがなかった)
お中元やお歳暮などの贈答品には缶詰が多かったような気がする。


商品の流通が発達し、遠くで採れたフルーツがいつでも食べられ、また、瓶詰め、レトルトパックなどの技術発達にともない、フルーツ缶詰が贈られてくることはずいぶん減った。買って食べることも少なくなった。
そんなこともあって、本当に久しぶりにフルーツ缶詰を食べたのである。
食べ物の記憶って、人間の記憶の中でも一番と言っても良いくらい強烈な、鮮烈な記憶になる(私だけか?)。
人間形成にも関係してくるんじゃなかろうか。


時代によって、私たちの食べるものは様変わりする。
良くも悪くも、それは次世代への記録となり、新しい食べ物、食べ方が出てくるのだろう。