日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

淀川キリスト教病院ホスピス病棟

時々、NHKの「サラメシ」を見ている。
今日も見ていたら、大阪市東淀川区淀川キリスト教病院の厨房の様子が映っていた。
ホスピス病棟では一週間に一回、患者がリクエストできるそうだ。
夫と見ていてしんみりしてしまった。


夫の父の最期は、淀川キリスト教病院ホスピス病棟だった。
2011年、東日本大震災の直前に入院、その後一旦退院したが、4月末に再入院。そのまま自宅に戻れずに亡くなった。


最初の入院の時は食事が出来た。キリスト教病院の食事はおいしいよと、うれしそうに話していた。
4月末の再入院は最初からホスピス病棟にと思っていたが、大型連休があり、手続き上の理由で5月になってからのホスピス病棟入りとなった。その時にはもう意識が混濁して口から食事が出来ない状態だった。もう少し早くホスピス病棟に入れれば、特別食(リクエスト食)が食べられたかもしれない。


リクエスト食は欠食になることも時々あるという。
食べたくてリクエストしても容体が悪くなれば食べられなくなる。美味しく食べて貰うことだけを考えて作っているとおっしゃっていたから、欠食の時には切ないだろう。それでも次の週にリクエストがあれば、また張り切って作ることも出来るが、そのまま食べられなくなる人もいるのが、ホスピス病棟。
切ない職場である。


お父さんにも最期においしい特別食を食べさせてあげたかった。
でも、あのお父さんのことだから、リクエストは普通のご飯とお味噌汁、焼き鮭だったかもしれない。
ギリギリまでお母さんのいる自宅で過ごすことを選び、貫いたのだから、特別食が食べられなくても幸せだっただろう。


キリスト教病院のスタッフの皆様には本当に感謝の気持ちしかない。最期まで丁寧に、優しく見守って下さった。
いよいよ最期が近くなったときには、入院してからお世話になった看護士さん、医師がそろってお別れに来て下さった。お忙しいのに、その合間を縫って来て下さったのだ。
優しかったお父さんの最期があの病院でよかったと、今でも思う。