日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

滋賀に行ってきた

10月9、10日、去年の3月に行った滋賀にまた行ってきた。
http://d.hatena.ne.jp/pig-pearl/20160313
9日、日野町で用事を済ませてそのまま去年と同じ彦根のホテルへ。
去年、関西風の蒲焼きが気に入ったので、夕飯も同じ鰻屋さん。
ま、ここまでは去年とほぼ同じコース。


彦根駅前の井伊直政銅像


彦根鰻屋さん「源内」の鰻丼。肝吸い付き。鰻は関東のように蒸していないので、皮がパリパリ香ばしくておいしい。鰻は半分しかのっていないけれど、私が食べるにはちょうど良い量。奥にチラッと見えるのが鰻巻き。これもおいしいの。鰻巻きは一人前が大きくて、夫と分けて食べた。


10日は豊郷に行って来た。
豊郷町滋賀県内で一番面積が小さい町だそうだ。
近江鉄道豊郷駅から徒歩15分くらいの所にある、豊郷小学校の旧校舎を見学に行った。
豊郷小学校旧校舎については以下の通り。


1937年(昭和12年)、本校出身で丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が私財を投げ打って建設した。設計はヴォーリズ建築事務所、建設は竹中工務店が担当し、神谷新一が現場監督となって指揮を執った。
当時としては珍しい、壮麗な鉄筋コンクリート造の校舎は、「白亜の殿堂」ないし「東洋一の小学校」との異名を取った。また、暖房設備など当時最先端の技術を惜しみなく使用し、その総工費は365,000円に上っている(当時の豊郷町予算の10倍に相当)。階段の手摺には、イソップ寓話「兎と亀」をモチーフとしたブロンズ装飾が設置され、後述する保存運動のシンボルにもなっている。(Wikipediaより)



その兎と亀のピンブローチをおみやげに。



豊郷小学校旧校舎は、色んな意味で驚きの校舎だった。
↑ここに書かれている設立寄付者、古川鉄治郎は伊藤忠商店(伊藤忠商事の前身)の親戚に当たる人物。伊藤忠商店の取締役・支配人、株式会社丸紅商店(丸紅の前身)専務取締役を歴任した人物である。つまり伊藤忠と丸紅が間接的に関係した小学校だったということになる。
そして、昭和12年当時に、このような近代的で立派な、しかもデザイン的にも洗練されている校舎が、こんな小さい町に建ったということに驚いた。


平成11年に就任した新町長が旧校舎を解体、新校舎建設の方針を打ち出し、それについて住民から反対運動が起こった。紆余曲折の末に、旧校舎を修理保存、敷地内に新校舎建設となっている。
こうして見てみると、保存してくれて良かったな、と、よそ者の私は単純に思う。それだけ見るべき価値のある校舎だと思う。特に講堂は素晴らしいと思った。あの時代にあんな立派な講堂。小学校だよ? 豊郷町の人々があの小学校を誇りに思うのは当たり前だろう。詳しくは書かないので、興味のある人は見に行って下さい。