日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

冷たく冷やして召し上がれ

わらび餅が大好きで、夏になると時々買って食べる。

最近は都内でも「わらび餅」の幟を立てリヤカーで売って歩いている。そう言えば豆腐屋さんも時々売り歩いている。
わらび餅は本来わらび粉を使って作るから「わらび餅」なのだけれど、果たして売っているわらび餅はそうなんだろうか?ほとんどは違うだろうな。
わらび粉は片栗粉に比べるとかなりお高い(はずだ)。


で、私は片栗粉で作るわらび餅をネットで検索した。
レシピはた〜〜くさん出てきた。
cookpadにたくさん出ていたので、その中の簡単そうなレシピで作って見た。
材料は片栗粉と砂糖と水。それを火に掛けて練り練りするだけ。とっても単純な作業…なんだけれど、これがあんがい微妙なモノだと知った。
一番最初に作ったときは、透明な、フルフルした、なめらかな、「THEわらび餅」ができた。
おおお〜〜〜、私ったら才能ある〜〜と大満足の出来だった。
それで調子に乗って、再度作った。
最初の時は練ったわらび餅をスプーンですくって氷水に入れていくとレシピに書いてあったので、そうしたのだが、これが熱くて結構大変だった。なので、塊のままドブンと氷水にいれ、粗熱の取れたわらび餅をバットに入れ成型、冷やして切り分けようと思った。
それはうまくいったのだが、練り方が少々足りなかったのか、白っぽく、微妙に舌触りが違う。
分量はきちんと量っているから、練り方なのか、火加減なのか、何かほんの少しのことだと思うのだけれど、それだけで随分違うモノになる。
家族の意見も同じだった。
写真のわらび餅は今回のモノだが、どちらかというと、くず餅に近い食感だった。くず餅も嫌いじゃない、というか、好きだから、それはそれでおいしくいただいた。ただ、前回のフルフルなめらかな食感が、私はいたく気に入ったのである。
くず餅も、cookpadで見ると片栗粉を使うレシピが多い。違うのは、片栗粉、砂糖、水の分量の割合だけ。
って、ことは今回作ったのは、わらび餅じゃなく、くず餅だと思えば良いのだろうか???


夫は、いつでも上手く作れればリヤカーで商売ができるようになるんだから、そりゃあ毎回上手に作るのは難しいだろうよ、と言う。
リヤカーを引こうとは思わないが、夏の間、いつでもおいしいわらび餅が食べられると思うと嬉しい。


いずれくず餅にも挑戦しようと思っている。吉野の本葛粉がうちの台所に何故かあるんだもの。貴重な本葛粉を使うのだから、もう少し片栗粉のわらび餅が上手に作れるようになったら挑戦してみようと思う。


追記:2017/08/30
その後何度も作ってみた。それで練り方ではなく、冷やし方に問題があるとわかった。冷蔵庫で冷やしてはダメなんだそうだ。室温で粗熱をとり、食べる直前に氷水で冷やす…のが良いらしい。(私は面倒だから練ったらすぐに氷水にドブンと入れ、氷水の中でちぎっているが)するとフルフルなめらか食感でいただける。要するに作ったら時間を置かずに食べるのがよろしいみたい。これは片栗粉で作った場合。本わらび粉を使った場合はどうなのかはわからない。


で、片栗粉で作る「わらび餅」「くず餅」が我が家のこの夏のブームになりそうなのだが、そもそも「片栗粉」って、本来は「片栗の粉(澱粉)」のはずである。でも今は馬鈴薯の粉(澱粉)がほとんどで、少なくても私は本物の「片栗の粉」にお目にかかったことがない。
それで思い出したが、私が小さい頃、片栗粉のことを葛粉と呼んでいた。
葛粉で作った葛湯が大好きだった。風邪をひいたときなど母がよく作ってくれ、甘くトロッとした葛湯を、ふーふー言いながら飲んだ。
あれも今思えば、片栗粉(馬鈴薯澱粉のほうね)で作った「葛湯」だ。


とにかく、本来は、わらびの粉で作るわらび餅を片栗粉で作り、その片栗粉も本来のモノとは違うという、妙なことになっている。
それでも、それで通っているし、そのことに意義を唱えるつもりはない。
葛粉も片栗粉もわらび粉も、あまり採れなくなっているのだから、代用品でまかなえるのなら、それで良いとも思う。
ただ、たぶん、本物のわらび粉で作った「わらび餅」(確か、茶色っぽいというか黒っぽくなるはず)、本物の葛粉で作った「くず餅」は食感が違うだろうと想像するだけである。


そうやって、本物は徐々に遠ざかり、代用品であったモノが、本物の顔をするようになる、というのはよくあることなのかもしれない。
結婚式などで男性が着用する、仙台平の袴。本来の仙台平を使った袴は、たぶんほとんどの人はお目にかかったことがないと思われる。(ないわけではないので、絶対ないとはいわないが)
縦縞のあの袴を仙台平だと思っている人は多い。それも間違いとは言い切れないから、それはそれで良い(…かもしれない)。
だって、こんなことを書いている私自身、本来の仙台平と、良く出来た仙台平風の平の区別ができないのだもの。