日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

新潟の豪雨

テレビで見たが、まだまだ雨は明日も続く様子。被災者の方々の不安が私にもわかる。
中学生の時、実家のある町が台風で大変な被害を被った。朝起きたら雨はあがっていたが、うちから見える田圃は一面、湖のようだった。利根川下流の稲作主体の田園地域だったから、刈り取り前の稻は大部分がだめになり、農作物の被害も大きかった。一晩で何百ミリもの雨が降ったと後できいた。その夜は停電で、また降り出すかもしれないからと、雨合羽やレインコートを着て過ごしたことをおぼえている。
やっと電気が通ってテレビをみたら、うちの町の様子がニュースで流れていた。そういえばヘリコプターが飛んでいたっけ。実家は丘の中腹にあるのだけれど、上る道も下る道も倒木と土砂で通れなくなっていた。近所の友人宅は裏の崖の大きな木が家を直撃し倒壊、家の下敷きになって逃げ遅れた友人は助け出されたけれど一ヶ月の入院生活になった。お見舞いにいったら、被災者の入院で病室が足りなくて、急ごしらえのプレハブのような病室に寝ていたのだった。
他にも何軒も崖崩れで家が倒壊。同級生も何人か重軽傷を負った。被害にあわなくても、裏に崖や山を背負ったお宅では、その後に畑や田を宅地造成して自宅をたてかえていったくらい。利根川が氾濫したわけではなかったけれど、それでもそれだけの被害が出た。
台風が直撃した夜、一晩中起きていた両親は、夜中に雷鳴に混じって、ドーンドーンと地崩れする無気味な音を聞いて、一体どうなるんだろうと、本当に不安だったと何度も聞かされた。
私はといえば、起こされることもなくノンキに朝まで寝ていたのだけれど、それまでほとんどそういう災害と無縁の地域だっただけに、家族も、地域の人々も、町の災害対策本部もどうしたらよいのか、見当がつかなかったようだった。今ほど危機管理についての知識も情報もなかったし、それだけ衝撃も被害も大きかった。
雨や風で目を覚ますことなどなかった私が、ほんの少しの雨風で目がさめるようになったし、台風がくるというと、何とも言えない不安な気持ちになる。
その後30年、それ以上の大きな災害には、こちらにきてからも遭ったことはないけれど、梅雨の末期や秋の台風の季節は、同様の災害をテレビで見ると、心が痛む。自然はこわいと思い知らされたできごとだった。