日和見日記

pig-pearl 一行紹介 2012年4月に武蔵野美術大学通信教育課程に入学、2018年3月卒業しました。日常生活のあれこれを記述しています。

秋晴れ

昨日まで実家に行っていた。

台風の後始末や修繕はほとんど終わっているが、元通りになったわけではない。

 

離れの2階に上がると、まだ使えそうだからと残ったモノが雑然と置かれていた。

 

畳は全てダメになったので捨ててしまったけれど、新しい畳はまだ入れてない。

二室あるうちの一室は天井板が剥がされたままだけれど、そちらにも新しい天井板を張る予定はない。

誰も住む予定のないところにお金を掛けて入れる気もしない、というのが父の本音。

 

畳が無くなった部屋の床板は合板だったので、雨に濡れたせいで乾いてもベコベコしている。

廊下は無垢板が貼ってあるのでしっかりしているが、こちらは泥やら何やらで汚れたまんま。

掃き掃除はしているが、雑巾で拭き掃除する気になれない。廊下だけでも20畳近いスペースがあるので、誰も住む人がいないならもうこのままでもいいか・・・などなど私もかなり横着になっている。

靴で入れる離れ、雨の日の物干し台・・・という位置づけになってきた。

 

障子も紙を剥がして拭いてあるけれど、一か所にまとめて置いたので、それらを元の場所に戻していった。でも、新しい紙を貼る気にはなれない。

 

そうやって、掃除をしつつそれらを一つずつ片付けていったが、どうにも寂しい気持ちになる作業である。

父が隠居所のつもりで建てた離れだったのに、一度もその役割をはたさずにこの姿になったのが子どもとしては辛いモノがあるわけで。

 

先日実家に行く前に友人に会った時、実家の台風被害の写真を見せた。

私としては、まあ、ネタというか、話の一つとして見せたわけで、同情して欲しいとかそういうつもりはなかった。

こんなふうだったよという、それだけのことだった。

それに対しての友人の反応は、「でも、もっとひどい被害のあった人(ところ)もあったんだから・・・」だった。

 

友人の言ったことは間違ってはいない。

でも・・・、

 

それはないだろう!

 

というのが、私の本音。

もちろんそうは言わなかったよ。

彼女はそういう暗い出来事を聞くのがイヤだっただけかもしれない。

本気でもっとひどい被害に遭われた方がいるのだから、そんなことくらい、と思ったのかもしれない。

彼女の本心はわからないが、正論であることだけは確かなんだから。

 

では、友人がどう言えば私が納得、あるいは満足したのか?

どんなふうに言われても、納得、満足はしなかっただろうなとも思う。

そもそも納得、満足のために言ったわけでもないんだし。

ましてや被害を自慢したかったわけでも、同情されたいわけでもなかった。

  

後片付けをしている最中は、ただただ片付けることだけで他のことは考えられなかった。

たしかに、実家は母屋は無事だったし、断水もしなかった。

人の住んでいない離れ(非住家)が罹災しただけなのだから、住家が倒壊したり、屋根が飛ばされて雨漏りの家で過ごすことになった方々に比べれば、ずっとマシだったことくらい、言われなくてもわかっている。

私も父も、手伝ってくれた叔父さん達も、県南の酷い被害を報道などで知れば、お気の毒だなー、大変だろうなと話していた。過去におこった天災を思い出し、これくらいで済んだのだから不幸中の幸いだったと、辛い気持ちを慰め、自分たちを奮い立たせていたのだ。

それなのに、そんな気持ちも知らない、被害にも遭っていない他人に言われたくはない。

こういう反応をされて、被災者は2度傷付くのだと思った。

そんなことに気付いたのも、自分が被災者の側にたったからわかることだ。